友人の自宅に泊まった夜のこと
その夏、僕は友人の帰省先の自宅に
泊めてもらう事になりました。
離れの一階にある部屋で、
僕等は酒を飲みながら
あれこれと話込んでいました。
夜もすっかり更けたので、
僕等は休むことにしましたが・・・。
ふと、友人が言いました。
「二階に、うちのばあちゃんいるだろ?
じいちゃんと死に別れてから、ちょっとな・・。
突然夜中に大声で御経読んだりするんだよ」
僕は深く聞くことを避け、
いつのまにか眠りにつきました。
どのくらい経ったか、
真夜中に「ドンッ!」という
大きな音で目を覚ましました。
どうやら天井が鳴ったようです。
ついで、低くて抑揚のない
呻き声のような、
読経の声が聞こえてきました。
微かに『ぬぅえ~、ぬぅえ~』と、
聞こえてくるのです。
「どうしようもない。
あれが終わるまで起きていよう」
そう決心した矢先、
僕はあることに気付きギョッとしました。
先程から聞こえてくる
お婆さんの読経の声は、
ある言葉を紡いでいたのです。
それは『ぬぅえ~、ぬぅえ~』ではなく、
明らかに『死~ねぇ~、死~ねぇ~』
と言っていたのです。
「なんだ、この声は?」
僕は慌てて上半身を起こしました。
すると、
縁側に老人の顔が見えたのです。
「あれ?」
そうです。
どうやら、お婆さんは
まだ二階に居るのです。
いや、二階にいるのが
お婆さんだとしたら、
目の前にいるのは誰なんだ?
僕の身体は、精神ごと
完全に固まってしまいました。
縁側に居たはずの老人が、
こちらに近づいてくるのです。
それも頭の部分だけが・・・。
僕は恐怖と混乱で、
隣で寝ている友人を
叩き起こすことすら出来ません。
少しでも目を離したらいけない、離せば
さらに近づいてくるかもしれない。
そんな気がしていると、視界の端に
友人が体を起こすのが見えました。
「じいちゃん!!」
「え?」
僕は友人に目をやりました。
ズザザザザッ!
その瞬間を待っていたかのように、
老人の頭が畳の上を
物凄い勢いで僕に近づいてきました。
そして、そのまま大きく口を開けて
僕の左足の踵にガブリッと、
かじりついたのです。
「ぎゃあっ!」
あまりの驚きに声をあげると、
老人の頭はスーッと消えてしまいました。
しばらくの放心の後、
僕は友人に言いました。
「お前のお婆さん、今みたいに、
お爺さんを毎晩見てるんじゃないのか?」
お爺さんに噛まれたあの感触を、
いまだに忘れる事が出来ません。
生暖かく、ぬるりととした
あの嫌な感触。
そう、あのお爺さんの口は、
全て歯が抜け落ちていたのです。
(終)