部屋の片隅にゆらゆらと揺らぐ空間の跡に
これは何年か前に、当時所属していた中隊の先輩から聞いた話。
間もなく昭和の時代も終わろうとする夏の頃。
先輩は輸送班に臨時勤務中で、休日の広報業務支援のため、土曜の夜に一人で営内に残留していたそうな。
翌日は早朝からの運転業務のため、酒も飲まず早い時間からベッドに入っていた。
しかし、そうそう早く眠れるはずもなく、もやもやと時間ばかりが過ぎていった。
見ちゃダメだ
ふと気が付くと、部屋の片隅にゆらゆらと揺らぐ空間を見つけた。
「何だ?」と目を凝らすと、次第に揺らぎは消え、跡には女の姿があった。
クリーム色に青と緑の格子柄のパフスリーブのワンピースに、つば広の麦藁帽子を被った若い女。
不思議と先輩は、「なぜ女が?」とは思わなかったという。
やがて女は先輩のベッドに近づいていった。
近づくほどに腰を屈めながら。
「最後にはほとんど四つん這いだったな。ほら、貞子みたいに」
それでも、なぜか女の顔だけは霞んだようにはっきりとは見えない。
女はベッドの縁に手をかけ、覗き込むように顔を近づけたという。
「その瞬間までは不思議と恐怖感はなかったんだ。これっぽっちも」
しかし、突然に女の顔がはっきりと見え始めた、ような気がした。
「見ちゃダメだ。そう思ったよ」
先輩は全力で半身を起こし、左の拳で女の顔のあたりを薙(な)いだそうだ。
ぐしゃり、というなんとも言いようのない感触を最後に、先輩の意識は途切れたという。
翌朝、目を覚ました先輩に残されたのは、尋常ではない寝汗で濡れたベッドと、左拳全体の青痣だった。
「まあな、寝ぼけて暴れてどっか殴ったのかもな。でも痣の酷さのわりに全然痛くなかったし。今思うとあの女、なんだか悲しそうな、寂しそうな、そんな感じもしたなあ・・・」
先輩の話は続く。
「話、聞いてやっても良かったのかな?殴ったりして悪かったのかな?でもそうしてたら俺どうなってたろう?なあ、お前ならどうしてた?」
(終)