入り慣れた山で迷っている時に
これは、私の地元の某県で戦後まもなくの出来事。
その日は休日だった営林署のある職員が、山菜採りをした後に帰ろうと思った時、そこは入り慣れた山のはずなのに何故か迷ってしまった。
日も西に傾き始めて野宿を覚悟した頃、見たこともない『大きな屋敷』の前に出た。
その屋敷は古い萱葺き屋根の建物で、人の住む気配はあるものの、家の外には人の姿はなかった。
ここは人外の住む場所か?と不安もあったが、結局は野宿するよりはマシと考え、一晩の宿を請おうと玄関をくぐった。
するとそこには30人分程の、数多くの靴があったという。
呼びかけに応えて出てきた主人は、特に怪しいところもない普通の人間のようで、道に迷った旨を告げると快く泊めてくれることになった。
食事の時、広間にはやはり30人程の人間がいて、幼子から若い女性まで年齢は様々で、いくつかの家族がまとまって暮らしているらしかった。
何事もなく次の日を迎え、帰りの道を教えてもらい、いざ屋敷を去ろうとした時に主人がこう言い出した。
「ここで見たことを誰にも話してはならん。営林署にも街の役人にも俺達の手下はいる。長生きしたければ大人しく言うことを聞いいた方がいい」
主人の顔があまりに真剣であったこと、また話してもいない自分の職場の名を出されたことで職員は怯えてしまい、70歳を過ぎて平成の世になるまでその話は胸に秘めていたという。
余談だが、この某県には『隠し村』の噂もあったりするようなので、この話を聞いた時は少しゾクッとした。
(終)