水難事故が起きた現場へ翌年に行ってみたら
これは、今でもよくわからない体験話。
13名が亡くなった玄倉川水難事故の翌年の秋、その玄倉川に親友と行った。※リンク先はWikipedia
川原に下りるにはゲートがあって立ち入り禁止になっていたが、すり抜けて入った。
水量は少なく、秋の澄んだ水で、俺は無性に向こう岸に渡りたくなった。
地形は手前に膝半分くらいの深さの水と流れがあり、その向こうは平らな川原。
さらに向こうにまた浅い流れがあって、そこを渡ると崖になっている。
俺は率先して川を渡っていったが、親友は浮かない顔をしながら付いて来ていた。
うらうらと日は照り、水はとても綺麗で、人っ子一人いない。
おやつに持って来ていたサンドイッチとコーヒーを取り出して親友にも勧めたが、なぜか「いらない。よく飲んだり食ったりできるな」と機嫌が悪かった。
仕方なく俺一人だけ、上機嫌で崖の岩に座って水の流れを見ていたが、親友は「座るのも嫌だ」と言って立ったままでいた。
すると、サンドイッチに眠剤でも入っていたのかと思うくらい、無性に眠くなってきた。
眠くて眠くて、座っている岩の上からズリズリと水の中にずり落ちそうになる。
そうしているうち、あまりに平安な気持ちの故か、『ああ、このまま身を投げて、水の間に間に流れて行ったらどんなにいいだろう…』と、妙なことを考えていた。
その時に突然、親友が「帰るぞ!頭が痛い。痛くて痛くて堪らん」と言いながら、ザバザバと水を踏みながら戻り始めた。
そのおかげか、俺は正気に戻った。
「大丈夫か?日向にいたからな」
そう親友を気遣いながら俺も元の岸に戻った後、向こう岸を振り向いてじっと見ている親友の顔を覗き込んだ。
そして、仰天した。
泣いている。
ボロボロ涙をこぼして…。
親友は屈強なランボーのような男で、アウトドアやサバイバルも得意であり、120kgもある冷蔵庫だって一人で運ぶような奴だ。
そんな男が大泣きしている。
「そんなに頭痛いの?」
少し狼狽気味に聞いたが、「いや、なぜか涙が出るだけ。無性に悲しいだけなんだ」と言う。
「とにかく帰ろう」
そう言って戻ろうとしたその時、親友の真後ろに”枯れ果てた古い花束”があるのを見つけた。
もしかして…ここってあの現場か?
俺は親友にそのことを黙ったまま帰りの途につき、後で調べてみた。
やはり、地形といい、砂防ダムとの距離といい、まさにあの現場だった。
親友からも電話があった。
彼も調べたらしく、結果はほぼ一致していた。
実はこの親友、姓は川村といい、その昔に玄倉川一帯を所領していた一族の末裔にあたる。
もしかして彼が泣いたのは、そのことと関係があるのかもしれない。
(終)