十年ぶりに帰省することになったが 3/4
私自身、
家の中の何か異様でただならぬ
空気を感じていたので、
彼女に対して、
もう少し明るく振舞ってくれ、
など言えませんでした。
ただ、これ以上
気まずい雰囲気にならなければ
と思っていました。
夕食の時も、
お互い積もる話があるはずなのに、
誰の口からも言葉が出ることなく、
食べ物を咀嚼(そしゃく)する音だけが、
静かな部屋に響いていました。
食後、私の母が彼女に
お風呂を勧めたのですが、
彼女は体調が優れないのでと断り、
私が入ろうとした時も、
一人で部屋に残るのが
心細いのか、
早く戻って来てと言いました。
その様子があまりに真剣なので、
私も不安になり、
嫌な予感もしたので
風呂に入るのをやめて、
そのまま母が敷いてくれた
布団につき、
早々と寝ることにしました。
電車に長時間乗っていた
疲れもあってか、
彼女は明かりを消すとすぐに
寝ついたようで、
安らかな寝息が私の傍らから
聞こえ始めました。
普段から寝つきの悪い私は
いつもと違う枕と布団の中で、
様々な事柄が頭の中でちらついて、
なかなか眠れませんでした。
この家全体に満ちている
澱んだ空気、
断片的に思い出される記憶、
私は落ち着き無く
寝返りを繰り返し、
色々なことを考えていました。
家の前にガソリンをばら撒いて
火を放った伯父さん、
あれから一度も姿を見せず、
何年後かに亡くなったと
聞かされたが、
実感は無かった。
葬式も無く、
ただ死んだと聞かされた。
幼いうちに死んだ
もう一人の伯父さんは、
ちゃんとお葬式をして
もらえたのだろうか。
そんなことを考えているうちに、
私はこの家に漂う、
澱んだ空気を吸うことさえ、
厭(いや)な気がしてきました。
家の外、庭先で鳴く
虫の声に混じって聞こえる
木々の間を縫う風の音は、
何か、人の呻き声のようにも
聞こえます。
その音にじっと耳を傾けると、
それが外からではなく
家の中から聞こえるようにさえ
感じました。
不安感と共に、
私は布団の中で身体から滲む
汗に不快感を抱きながら、
いつのまにか眠りに落ちていました。
夢を見ました。
恐ろしい夢でした。
夢の中には私がいました。
幼い頃の私です。
その私の首を、
父が絞めているのです。
その後ろには祖父もいました。
私は恐怖を感じましたが、
不思議と苦しくはありませんでした。
翌朝目覚めると、
隣で真っ青な顔した彼女が
布団をきちんと畳んで、
帰り支度をしていました。
寝汗を吸い込んだ
Tシャツを脱ぎながら、
私は彼女にどうしたのかと
尋ねました。
彼女はただ「帰る」
とだけ言いました。
昨日来たばかりなのに・・・
と言葉を濁していると、
あなたが残るなら、
それは仕方がないわ。
でも私は一人でも帰る。
そう、青ざめた顔のまま
言いました。
はっきり言って私も、
それ以上実家に居たいとは
思っていませんでした。
しかし、両親に
なんと言えばいいのか
分からないです。
なんと説明すれば良いのか、
そんなことを考えていると、
昨夜の夢が脳裏に
ちらつきました。
幼い私の首を絞める父。
とにかく私も布団を畳み、
着替えを済ませてから、
居間に向かいました。
大きなテーブルの上座に
腰掛けた父は、
新聞を広げていました。
再び悪夢が脳裏を掠めます。
わずかな時間に私は
色々と考えてから口を開いて、
彼女の体調があまり優れないし、
今日、もう帰ろうと思うんだ、
そう言いました。
言ってから何かおかしなことを
言っているなと思いました。
体調が悪いのにまた電車に乗って
長い間移動するなんて。
しかし、父は深く一度
ため息をついてから、
そうか、そうしなさい。
あのお嬢さんを連れて
東京に戻りなさい。
そう言ったのです。
何か呆然となりました。
自分の分からない事柄が、
自分の知らないところで
勝手に起こって進んでいる。
そして、
自分はその周りでわずかな何かを
感じているに過ぎない、
そんな気持ちです。
居間を後にして部屋に戻ると、
彼女はもう帰り支度を
全て終えて、
今にも部屋から出ようと
しているところでした。