研修センターの閉ざされたドア 2/2
“ソレ”は薄汚れた浴衣に身を包んでいる。
浴衣の前は無様にはだけ、女性用の下着が見えている。
浴衣から伸びている腕と脚は痩せ細り、腹だけが異様な感じに膨れている。
その細い腕の一つが顔に伸び、片手がしっかりと口元を抑えている。
目はカッと見開かれ一瞬白目になったかと思うと、口元を抑えた手の指の間から嘔吐物が滲み出し、床に滴り落ちてゆく。
ビチャ
ビチャ
ビチャ
ビチャ
ビチャ
ビチャ
“ソレ”は床に嘔吐物を撒き散らしながら、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
(何こいつ?!誰だよ?!)
(おい!おいっ!!やばい逃げろ!!!)
私の頭の中は色んな思考がごちゃごちゃになり、体が思うように動かせなくなっていた。
しかし、目だけは”ソレ”を見つめている。
不意に”ソレ”の目がより一層見開かれたかと思うと、口元を抑えていた手を押し破り、一気に嘔吐物が噴出してきた。
ビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャ・・・
その嘔吐物の飛沫(しぶき)が私の顔にかかった様な気がした。
慌てた私はフッと我に返り、「ぎぃゃああああっ!!」とけたたましい悲鳴をあげると、部屋のドアを猛烈な勢いで閉めて布団に潜り込んだ。
すると、私の悲鳴を聞いた友人が向かいの部屋から出てくる気配がした。
「なんだよ、夜中にうるさ・・・ぎゃぁあああ!」
けたたましい悲鳴。
廊下を走る音。
そして、階段を転げ落ちる激しい音。
その音で他の二人の友人も目を覚まし、廊下に出てきたらしい。
しかし今度は悲鳴をあげることもなく、私の部屋のドアをノックしてきた。
私は半泣きになりながら部屋を出ると、掠れた声で「か、階段、階段!」と、階段方向を指差してその場にしゃがみ込んでしまった。
友人の一人が階段に行くと、派手に転げ落ちたもう一人を発見し、直ぐに救急車を呼んだ。
ほどなくして救急車が到着。
階段から落ちた友人は数箇所骨折している様子。
また意識も無いことから、そのまま病院へ運ばれることになった。
私はこれ以上この場所に居ることが絶えられず、付き添いとして救急車に乗り込んだ。
そして翌日、そのまま入院となった友人を残して一人で研修所に戻った。
(友人は病院で意識を取り戻したが、まだ処置の途中ということで、ろくに会話は出来なかった)
待っていた友人二人に昨夜の出来事を話したが、やはりこの二人は何も見ておらず、アイツを見たのは入院中の友人と私だけだったらしい。
しかしこれ以上ここには宿泊したくもなく、荷物をまとめて研修センターを後にした。
一体アイツはなんだったのだろうか?
あの『開かずのドア』は・・・。
後日談
帰宅後、研修所を所有する会社に勤めている親父さんに事の経緯を説明したところ、親父さんはハッとした顔をした後、ぽつりぽつりと語り始めた。
3年ほど前、まだ頻繁に研修センターを使用していた頃だった。
社外講師を招いてその年度に入社した新入社員12名を対象に、2週間の自己啓発セミナーを実施した。
その内容はかなりハードなもので、社会人としてのマナーは勿論のこと、生活面でも全てを規則で縛り付けていた。
その12名の参加者の中に一人の女性がいた。
かなり華奢な体つきをした彼女は相当の偏食家で、好き嫌いが多いといったレベルではなかった。
当然この講師が食べ残しを許すはずもなく、口の中に食べ残しを押し込み、水で流し込むように無理やり食べさせていたのだった。
彼女は夜な夜な2階のトイレで胃の物を吐き出す生活を続け、半ばノイローゼ状態に追い込まれていた。
そして、研修も後半に入ったある夜のことだった。
やはり夜中に2階のトイレで嘔吐を繰り返していたところを講師に見つかってしまった。
講師から研修所中に聞えるような大声で激しい叱責を受け、最後には「お前みたいな精神が弱い人間は生きている価値が無い」とまで言われたそうだ。
自分の嘔吐物に塗(まみ)れて呆然と座り込む彼女を心配し、同期の何人かが声を掛けたが何の反応も無かったそうだ。
翌朝、同期の一人が用を足そうと2階のトイレに入ったところ、彼女が浴衣の紐を個室のドアの鴨居に掛けて首を吊って死んでいた。
私たちがあの研修センターを利用した半年後、その建物は取り壊された。
(終)
幽霊よりも講師や研修の方が怖い。