山中で聞こえた声につられて 2/2
扉に手をかける。
クイッと押すと、メキメキッと埃をボロボロ落としながら扉が開いた。
中を覗き込むと、人がいた。
こちらに背中を向けて、部屋の中心に立っている。
女だ。
着物なのだろうが、まるでボロボロの白い布切れを纏ったような服装で、髪はボサボサで腰辺りまで伸びた白髪混じりの黒髪。
破れた着物の隙間から見える手足は、恐ろしいほどやせ細っていた。
その足元には、犬か狸か、動物の死骸が転がっていた。
まだ新しいのか、流れた赤黒い血が床を濡らしている。
「・・・・・ッテー・・・テー・・カー・・・ョー・・・」
その女は、何かぼそぼそと呟いていた。
歌だろうか。
聞き取れないが、一定のテンポを感じる。
ああ、これはダメだ。
現実離れした光景を見ながら、俺は妙に冷静にそう思った。
見てはいけないものを見た。
関わってはならないものだ、逃げよう。
俺が一歩後ずさると女がグラッと揺れて、顔を左右に振り始めた。
ブルブル!
ブルブル!
ブンブンブンブン・・・!
振り幅が段々と大きくなり、長い黒髪が大きく振り回される。
「テーテーシャーィカーョー」
何を言ってるのかさっぱり分からないが、とにかく異常だった。
俺は逃げた。
全力で来た道を走る。
多分この時、俺は無表情だったと思う。
全ての感情を凍らせて、何も考えずに逃げる。
少しでも何か考えれば、悲鳴一つでも上げれば、正気と恐慌の拮抗が崩壊してしまうと思った。
パニックに陥るのを阻止するための本能だったのかもしれない。
藪を掻き分けて、元の登山コースに転がり出る。
そこで呼吸を整えながら来た道を振り返ると、20メートルほど離れた藪の中から黒い頭が出ているのが見えた。
「ーーーーー」
俺は硬直した。
頭しか見えないが、あの白髪混じりの黒髪は、さっきのあいつだ。
動かずに立ち止まっているようだが、追って来ている?!
すぐに一目散に逃げた。
登山道をひたすら駆け下りていく。
走りながら、首だけで後ろを見る。
登山道の横の木の陰に、白い着物が見えた。
さっきよりも近くにいる!
また走る。
走る、走る、振り返る。
木の陰に白い着物。
さっきよりも、さらに近い!
「ううううう・・・」と、恐怖で呻き声が漏れた。
“だるまさんが転んだ”を連想してもらえば分かり易いだろうか。
走りながら後ろを振り返ると、さっき振り返った時より近い位置に立っている。
全力で逃げているのに、振り返った時、そいつは今まで走っていた素振りもなく、さっきよりも近い位置に立っているのだ。
もうすぐ麓の民家がある集落へ出る。
また振り返ると、自分から3メートルくらいの位置に立っていた!
一瞬だが、女の顔が見えた。
目元はベッタリと張り付いた髪で隠れていて、口がモゴモゴと動いていた。
前を向いて走る、走る。
もう振り返る勇気は無かった。
次に振り向いたら、俺の背中ピッタリのところにいるんじゃないか・・・。
ゼヒュッゼヒュッと呼吸困難寸前になりながら集落へ。
最初に目に付いた家に飛び込み、呼び鈴を狂ったように押し続けた。
「誰か!誰かー!!」
俺が騒いでいると、家の中からお婆さんが出てきた。
「なんだいな。どがぁしただ?」
俺の様子を見て、驚くお婆さん。
そりゃそうだろう、いきなり大の男が息を切らしてやって来たら。
「すみません、あの、俺の後ろ、何かありませんか?」
「なんもあらあせんがな」
言われて恐る恐る振り向くと、確かにあの女の姿は無かった。
これが俺のした恐怖体験。
クラブの仲間に相談しようかと思ったが、誰かに話すのも怖くてやめておいた。
予定していた○○さんでのイベントも、俺は参加を拒否した。
(終)