死んだ婆さまがいつも拝んでいたお地蔵さん
地元のお寺に安置されているお地蔵さんの話。
我が家の住む町は、海辺の小さな田舎町。
母がまだうら若き乙女だった頃、近所の婆さまが死んだ。
その婆さまは、頼まれたら鳴釜をして『拝む人』だったらしい。
※鳴釜神事(なるかましんじ)
釜の上に蒸篭(せいろ)を置いてその中にお米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた時に鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占う神事。(Wikipediaより)
もし縁のある人の目に止まれば・・・
葬式も終わり、婆さまの荷物を片付けている時、浜に出ようとしていた母はその場所を通りかかった。
その婆さまの親戚で、当時40代で漁師、腕に綺麗な模様のある屈強なおじさんが、「面白いから見てけ!見てけ!」と母を呼び止めた。
何があるのかと母が足を止めると、「この地蔵さん、見とけよ~」と言って、おじさんはお地蔵さんに手をかける。
ちなみに、そのお地蔵さんは死んだ婆さまがいつも拝んでいた。
おじさんが、「地蔵さん、拝んだるよってに○○のうちに行こか~」と言って持ち上げようとしたが、座布団から上がらない。
しかし、「地蔵さん、寺に行こか~」と言い直すと、すっと持ち上がる。
再度、「地蔵さん、○○のうちに行こか~」と言って持ち上げようとするも、町で指折りの力持ちのおじさんの腕の筋が浮き出るほど力を入れても持ち上がらない。
母は、座布団にお地蔵さんの尻がくっ付いて△の形になったと言う。
私は幼い頃からお寺に行く度に、母にこの話を聞かされて育ってきた。
そのお地蔵さんは、今でもお寺の敷地内でお座りになっている。
実はこのお地蔵さん、婆さまが浜に打ち上げられているのを拾ってきて、ずっと拝んでいたものだそうだ。
戦時中の南海地震で津波に襲われた際、お地蔵さんと共に婆さまの荷物だけが天井に引っ付いて濡れてもいなかったという。
実際に母は目撃者であり、今でもお寺に行くと「おまえも拝んでこい」と言う。
お堂の中にある、一見小ぶりなお地蔵さん。
もうお寺の住職も代変わりして私より年下の住職だから、このお地蔵さんの由来は知らないだろう。
私はお地蔵さんを拝んでいていつも思うのだが、このお地蔵さん、今は深く眠っている気がする。
もし縁のある人の目に止まれば・・・。
(終)