隠岐のコトリバコ 8/8
代表者5人が、
俺の家に来たんだわな。
そして、
俺の先祖に処理を頼んだ。
しかし、
箱の力が強すぎると感じた俺の先祖は、
箱の薄め方を提案したんだ。
それはJさんの言った通りの方法。
そして、決して約束の年数を経ない
箱を持ち込まないこと。
神社側からは、
決して部落に接触しないこと。
前の管理者が死んだ後、
必ず報告をすること。
箱ごとの年数は、
恐らく俺の先祖が大方の目安を・・・
箱の強さによって110年とか、
チッポウなら140年ほど。
箱の管理から逃げ出せないよう、
そのルールを作ったんだ。
班毎に分かれたあと、
一人の代表者を決め、
各班にその代表者が届けた。
そしてどの箱をどの班に届けたかを
俺の神社に伝え、
俺の祖先が控えた後・・・
その人は殺される。
これで、どの箱をどの班がどれだけの年数
保管するのかは分からない。
そして、班内以外の者同士が、
箱の話をするのをタブーとしたそうだ。
なぜ全体で
管理することにしなかったのかは、
恐らくだが、
これは俺のじいちゃんが
言ってたんだが、
全体で責任を背負って
責任が薄まるよりも、
少ない人数で
負担を大きくすることで、
逃げられないようにしたんじゃないかな?
そして、約束の年数を保管した後、
持ち込まれた箱を処理したと。
じいちゃんの運の悪いところは、
約束の年数ってのが、
じいちゃんとおれのひいじいさんの代に、
もろ重なってたってことだ。
箱ごとの約束の年数っていうのは、
法則とかさっぱり不明で、
他の箱はじいさんの代で
全部処分出来たんだが、
チッポウだけはやたら長くて、
俺の代なんだよなぁ・・・
まだ先だと思って
何もやってなかったけど、
真面目にせにゃ・・・
これで全部だ。
箱に関すること。
俺が知ってること。
そして、俺が祓ったチッポウは、
最初に作られたチッポウだってこと」
そして次の日にMが、
M「箱の年数は、
どうやって決めたのかは分からない。
俺の先祖が箱について
何かしら知ってたのかも知れないし、
AAという人物から
そういう話があったらそうしてくれと、
頼まれていたのかもしれない」
と言ってました。
以上が昨日の夜の出来事です。
もうね、三文小説の
ネタにでもなりそうなお話で、
現実に箱事件を目の当たりにした俺も、
何がなにやらで混乱してます。
これ、ホントは掲載するのどうしようか、
本気で迷いました。
明らかにタブーなことだろうと思うし、
部落の人にとっては
絶対外に漏れては困ることでしょうし・・・
ただ、箱は残り2つってMが言ってました。
チッポウが2つ。
Mの話を聞いても、
MとMのとおちゃんにも
不明なことは多いらしい。
AAが誰なのか、
元々は何処から来たのか?
AAは箱の作り方を、
何処から知ったのか?
また、AAなる人物は
どういう理由で隠岐に居たのかとか、
ハッカイとかいう最初の箱は
ドコに行ったの?とか、
AAその後どうなったの?とか、
ハッカイを使って
AAは何をしたの?とか、
隠岐は、京都付近の政治犯が送られて来た
ってのは習ったんで知ってますが、
この箱の作り方が、
京周辺にあるものなのか?とか。
これは俺のルーツ知れるかなぁっていう、
個人的な欲も含まれています。
父母が生きてた時、
父方の先祖は隠岐から来たってのは
聞いてたんですが、
詳しいところは不明なんで、
俺がAAと関わりあるのかは不明なんです。
妹らも、もちろん知ってるわけないし、
母方のばあちゃんに聞いても
わかるわけねぇし・・・
歴史に詳しい方、
ハッカイとか言う言葉が出てくる
郷土史や昔話など、
情報出てこないですかね?
箱の呼び名の由来も不明ですし。
ただ、俺の想像なんですが、
イッポウ、ニホウとかは、
『一封』、『二封』~~で、
ハッカイって言うのは、
『八開』なのかなとも。
それと最後に。
最後のMの話なんですが、
俺自身の思うところや感想を、
Mの言葉を借りて
勝手に盛り込んでる文章に
なってるかもしれません。
Mは、
「こんなかっこつけぇな話し方しねぇよ!」
って言ってましたし。(笑)
ただ、それほど強烈に
心に食い込む話だったんです。
何も思わず、何も語らずってこと、
俺には出来ないです。
でしゃばりかもしれませんが、
お許しください。
(終)
チョハッカイ