鋏 4/5

地蔵

 

二日後。

 

俺は懐中電灯を片手に、

真夜中の山中を歩いていた。

 

バイトも休みだったので、

昼間のうちに下見をするつもりだったのだが、

 

暇潰しのつもりで入ったパチンコ屋で、

高設定のパチスロ台に座ってしまったらしく、

 

止めるに止められなくなり、

 

まあいいやなんとかなるだろうと、

これまで犯してきた学生としての過ちから、

 

全く何も学んでいないような

頭の悪い判断をして、

 

夜に至ってしまっていたのだ。

 

もう出始めた蚊にイライラしながらも、

 

ポケットに忍ばせたノートの切れ端の地図を

何度も確認しつつ、

 

ソロソロと歩を進めた。

 

街から少し離れただけなのに、

まるで別世界のような気味の悪さだ。

 

すでに人の世界ではない。

 

ほんとすいませんと、

 

一体何に謝っているのか

自分でもわからないまま、

 

頭の中で繰り返している。

 

ガサガサと草むらが音を立てるたび、

嘘だろと思い、

 

山鳩の泣き声がどこからともなく響くと、

 

まるで自分が通ることへの合図のような

被害妄想に駆られて、

 

頼むから見逃してくれと思うのだった。

 

まったく、格好をつける必要が

どこにあったのだろうか。

 

自分のバカさ加減にうんざりする。

 

懐中電灯の白い光が、

 

大きな木の中腹に刻み付けられた

矢印を照らし出し、

 

確実に目的地へ近づいていることがわかる。

 

また山鳩の声がホウホウと聞こえ、

同時に微かな羽ばたきを耳にした。

 

湿気を含んだ濃密な空気に、

胸が詰まりそうになる。

 

思えば、

 

こうして一人で真夜中に

心霊スポットへ行くなんて、

 

ほとんどないことだ。

 

大抵、

件のオカルト道の師匠と一緒だった。

 

彼はその心霊スポットの本来の

スペック以上のものを引き出す、

 

実に迷惑な存在だったが、

 

その背中を追いかけているだけで、

俺は暗闇に足を踏み出すことができた。

 

怖いものだらけだった。

 

けれど、

怖いものなんてなかった。

 

ザザザザザ・・・

 

不吉な音とともに、

風が草を薙いだ。

 

後ろは振り返りたくない。

 

自然と足早になる。

 

こういう足元がよく見えない場所で、

俺が思うのは小さな頃から同じ。

 

誰かに足を掴まれたらどうしよう、

という妄想だった。

 

風呂場で髪を洗っている時に

目をつぶるのが恐ろしいように、

 

人間は目に見えない空間を恐れている。

 

自分という観察者のいない場所では、

 

誰も『ありえないこと』など

保証してくれないからだ。

 

最後の矢印が見えた。

 

二股に分かれた木の根元。

 

俺は深呼吸をして、

 

お尻のポケットに差し込んだ愛用のハサミを

ジーンズ越しに確認する。

 

懐中電灯の明かりに、

一瞬、人影が見えた気がした。

 

ドキっとしたが、

もう一度ゆっくりと照らして見ると、

 

地蔵らしき黒い頭が

闇に浮かび上がってきた。

 

一人で来なければいけないということは、

他人に見られてはいけないということだ。

 

そしてそこで行われる

刃物を使った呪い・・・

 

丑の刻参りと構造が似ている。

 

女子高生がするようなおまじないとは

少し毛色が違う。

 

今更そんなことを思ったが、

 

足が動かなくなりそうだったので

脳裏から振り払う。

 

周囲を観察し、

 

少し斜面になった部分を下るものの、

崖ではないことを確認する。

 

ゆっくりと藪が途切れた場所から回り込むと、

 

山中に異様とも思える方形の、

人工の空間が現れた。

 

雑草が生い茂っているとはいえ、

 

踏み固められた赤土の地表が

ぽっかりと目の前にある。

 

リィリィという虫の音が聞こえる中を

ゆっくりと進むと、

 

斜面に沿うようにひっそりと立つ影が

視線の端に入った。

 

懐中電灯のスイッチを切り、

深呼吸をする。

 

やっぱり帰ろうと思う。

 

心臓の音を聞く。

 

目を閉じる。

 

覚悟する。

 

何歩か靴の裏を引きずるように進むと、

 

懐中電灯をポケットに無理やりねじ込んで、

両手を恐る恐る前に突き出す。

 

急に空気がねとつくように感じられ、

息苦しくなる。

 

あのコーヒーショップで覚えた

嫌な感じを思い出すまいとして、

 

まさにそのせいで思い出してしまう。

 

あれは霊なんかとは違う、

もっとわからないものなのだと思う。

 

その根源に今、

近づきつつあった。

 

足が止まりそうになったところで、

左手が硬いものに触った。

 

内臓のあたりに、

嫌な感じがズーンと落ちてくる。

 

それでも両手で、

 

胸の前にある石の

ざらついた感触を確かめる。

 

これが左端の地蔵の頭のはずだった。

 

赤ちゃんの頭くらいの大きさだ。

 

なにか別の恐怖心が

もたげてくるような気がして、

 

すぐに手を離す。

 

次の地蔵までは3歩と離れていない。

 

爪先が地蔵の胴体らしきものに当たり、

手探りをすると、

 

さっきと同じざらついた手触りが

手のひらに入ってきた。

 

次だ。

 

もう余計なことを考えないようにして、

目を閉じたまま次の場所へ手を伸ばす。

 

ひんやりしたものに指先が触れた。

 

なにか変だ。

 

なにも変なところがない。

 

目を開けたい衝動に駆られる。

 

苔むしているのではなかったのだろうか?

 

髪の毛なんて生えていない。

 

そう思った時、

右半身がなにかの気配を捉えた。

 

目を閉じていてもわかる。

 

たぶん、微かな風の流れで

そう感じるのだろう。

 

数がおかしくないかという疑念を封じ込めて、

ソロソロとさらに右側に手を伸ばした。

 

(続く)鋏 5/5

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