血(前編) 2/2
それから数日、
ネットには繋がなかった。
なんとなく、
京介さんと会話するのが怖かった。
ギクシャクしてしまいそうで。
ある意味、
そんな京介さんもオッケー!
という自分もいる。
別に、
取って食われるわけではあるまい。
面白そうではないか。
しかし、「近づくな」と
短期間に4人から言われると、
ちょっと警戒してしまうのも事実だった。
そんな問題を先送りにしただけの
日々を送っていたある日、
道を歩いているとガムを踏んだ。
歩道の端にこすりつけていると、
そのとき不思議なことが起こった。
一瞬あたりが暗くなり、
すぐにまた明るくなったのだ。
雲の下に入ったとか、
そんな暗さではなかった。
一瞬だが、
真っ暗と言っていい。
しばらくその場で固まっていると、
また同じことが起こった。
パッパッと周囲が明滅したのだ。
まるで、ゆっくり瞬きした
時のようのようだった。
しかしもちろん、
自分がした瞬きに驚くような
バカではない。
怖くなってその場を離れた。
次は、
家で歯磨きをしている時だった。
パチ、パチ、と2回、
暗闇に視界がシャットダウンされた。
驚いて口の中のものを飲んでしまった。
そんなことが数日続き、
ノイローゼ気味になった俺は
師匠に泣きついた。
師匠は開口一番、
「だから言ったのに」。
そんなこと言われても。
なにがなんだか。
「その女のことを嗅ぎ回ったから、
向こうに気づかれたんだ。
『それ』は明らかに瞬きだよ」
どういうことだろう?
「霊視ってあるよね?
霊視されている人間の目の前に、
霊視している人間の顔が浮かぶっていう話、
聞いたことない?
それとはちょっと違うけど、
その瞬きは『見ている側』の
瞬きだと思う」
そんなバカな。
「見られてるっていうんですか」
「その女はヤバイ。
なんとかした方がいい」
「なんとかなんて、
どうしたらいいんですか」
師匠は、
「謝りに行って来たら?」
と、他人事まるだしの口調で言った。
「ついて来て下さいよ」
と、泣きついたが相手にされない。
「怖いんですか」
と伝家の宝刀を抜いたが、
「女は怖い」
の一言でかわされてしまった。
京介さんのマンションへ向かう途中、
俺は悲壮な覚悟で夜道を歩いていた。
自転車がパンクしたのだった。
偶然のような気がしない。
またガムを踏んだ。
偶然のような気がしないのだ。
地面に靴をこすりつけようとして、
ふと靴の裏を見てみた。
心臓が止まりそうになった。
何も付いていなかった!
ガムどころか泥も汚れも何も。
では、あの足の裏を引っ張られる
感覚は一体なに?
『京子』さんのことを嗅ぎ回るようになってから
やたら踏むようになったガムは、
もしかして、
全てガムではなかったのだろうか?
立ち止まった俺を、
俺のではない瞬きが襲った。
上から閉じていく世界のその先端に、
一瞬、ほんの一瞬、
黒く長いものが見えた気がした。
まつげ?
そう思った時、
俺は駆け出した。
勘弁してください!
そう心の中で叫びながら
マンションへ走った。
チャイムを鳴らしたあと、
「うーい」
と言う、だるそうな声とともに
ドアが開いた。
「すみませんでした!」
京介さんは俺を見下ろして、
すぐにしゃがんだ。
「なんでいきなり土下座なんだ。
まあとにかく入れ」
と言って、
部屋に上がらされた。
俺は半泣きで謝罪の言葉を口にして、
今までのことを話したはずだが、
あまり覚えていない。
俺の要領を得ない話を聞き終わったあと、
京介さんはため息をついて
ジーンズのポケットをごそごそと探り、
財布から自動二輪の免許書を取り出した。
『山中ちひろ』
そう書いてあった。
俺は間抜け面で、
「だ、だって、
背が高くてショートで・・・」
と言ったが、
「私は高校の時はずっとロングだ。
バカか」
と言われた。
じゃあ、
間崎京子というのは・・・
「お前は命知らずだな。
あいつにだけは近づかない方がいい」
どこかホッとして、
そしてすぐに鳥肌が立った。
(終)
次の話・・・「写真 1/2」