跳ぶ 2/2

屋上

 

十何回転かすると、

すっかり方角がわからなくなった。

 

一体、

断崖がどの方向にあるのか。

 

そう考えた時、

締め付けられるように心細くなった。

 

座ったままだというのに、

足元が今にも崩れ去りそうな頼りなさ。

 

目を開けたい。

 

その衝動と戦った。

 

やがて打ち勝ち、

恐々ながら立ち上がる。

 

いつの間にか風が止んでいる。

 

昼間ならば目を閉じていても感じる太陽も、

今ここにはない。

 

本当に方向がわからない。

 

方向はわからないけれど、

 

数歩先には確かに人の命を

あの世まで引っ張り込む断崖がある。

 

立っているだけで、

どうしようもない恐怖心が襲ってきた。

 

座ろうか。

 

その誘惑に負けそうになった時、

師匠の声がした。

 

「ようし、こっちだ。跳べ」

 

確かにその声は正面から聞こえた。

 

ほぼ真正面。

 

その瞬間に、

 

右も左もない暗闇の世界で、

自分のいる座標が決定されたような、

 

一種のカタルシスがあった。

 

カタルシス(コトバンク)

精神の浄化作用のこと。 カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味する。

 

震えていた膝が伸びる。

 

これならいける。

 

目を閉じたまま体を沈ませ、

前方に跳ぶための力を溜め込む。

 

その時、

頭の中にイメージが浮かんだ。

 

闇に切り取られた断崖の向こう。

 

師匠が虚空にふわふわと浮かんで

嗤っている。

 

嗤う(わらう)

ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。

 

バカか。

 

その悪夢のようなイメージを、

頭から振り払おうとする。

 

正面だ。

 

真正面に跳べばなんてことない。

 

自己暗示をかけながら、

俺は歯を食い縛って暗闇の中に跳躍した。

 

白い線で脳裏に絵を描く。

 

俺は師匠のいる方向に数十センチ跳び、

やがて屋上のコンクリートに足から落ちていく。

 

その白い線で出来た地面に、

イメージの俺が着地した時、

 

本物の足にはまだ着地の衝撃はなかった。

 

一瞬。

 

白い線で出来た世界は消え去り、

 

巨大な穴のような断崖が、

足元にぽっかりと口を開けた。

 

恐慌が全身に広がる前に、

下半身へ衝撃がきた。

 

着地。

 

膝をつき両手をつく。

 

目を開けると、

 

師匠が哲学者のような表情で

腕を組んでいる。

 

「いま、落ちるのが遅く感じなかったか」

 

俺は脳の中を覗かれたような

気持ち悪さに襲われながら、

 

それでも頷く。

 

「死ぬ直前に、

 

過去が走馬灯のように蘇るって

聞いたことがあるだろう。

 

時間の流れなんて、

 

頭蓋骨という密室に閉じ込められた

脳みそにとっては、

 

相対的なものでしかない。

 

極限のコンセントレーションの元では、

時間は緩やかに流れる。

 

※コンセントレーション

精神を集中すること。精神集中。

 

これは、プロスポーツの世界を

例にあげるまでもなく、

 

理解できるだろう」

 

言わんとしていることはわかる。

 

恐怖心もまた、

コンセントレーションの要因なのだろう。

 

「このゲームの面白いところは、

 

着地するタイミングが本来のそれより

ズレた瞬間に、

 

屋上からの転落という事態を

想起させることにある。

 

そしてわずかに遅れて、

 

イメージではなく、

本当の自分自身が着地する。

 

不可避の死からの生還。

 

このコンマ何秒の世界に、

生と死と再生が詰まっている」

 

淡々と語るその顔に、

 

喜びと翳りのようなものが

混在しているように見えた。

 

※翳り(かげり)

表情などの、どことなく影がさし、暗くなったような感じ。

 

「じゃあ、もう一度」

 

言われるがままに再び目をつぶる。

 

しゃがんでくるくると回る。

 

立ち上がる。

 

「こっちだよ」

 

右前のあたりから声が聞こえた。

 

そちらへ向かって跳ぶ。

 

地面がない。

 

死ぬ。

 

そう思った瞬間に着地する。

 

なぜか泣きそうになった。

 

こんなゲームを面白いと感じる、

自分自身が怖くなる。

 

風は凪いだままだった。

 

「もう一度」

 

誰もいない深夜の校舎の屋上で二人、

 

生と死と、

そして再生を繰り返している。

 

気がつくと仰向けにひっくり返って、

満天の星空を見上げながら涙を流していた。

 

デネブ

ヴェガ

アルタイル

 

夏の大三角形が歪にぼやけて見えた。

 

師匠の顔がそれに被さり、

 

「次が最後だ」

 

と言った。

 

俺はのろのろと起き上がり、

屋上の縁に立つ。

 

しゃがまなくても回れた。

 

再び世界は暗闇に閉ざされ、

自分の位置がつかめなくなる。

 

そして、

 

闇を切り裂く一筋の光のような、

その声を待つ。

 

・・・

 

声はない。

 

静かだ。

 

いつまで待っても声はなかった。

 

賭けろというのだろうか。

 

たったひとつしかない、

自分の命を。

 

二分の一に。

 

想像する。

 

このまま跳べば、

 

相対的な着地時間は

今までより遥かに長くなるだろう。

 

それは、

 

自由落下運動の方程式から

導き出される地上までの時間と、

 

きっと等しいはずだ。

 

いや、

ひょっとするともっともっと長く、

 

このささやかな人生を振り返れるくらいに、

長い落下になるのかも知れない。

 

師匠はもし今、

 

俺が断崖に正対して立っていたら

止めてくれるだろうか。

 

答えがないのが、

 

このまま跳べば大丈夫だという

答えそのものなのだろうか。

 

薄目を開けたくなる衝動に襲われる。

 

だがそれをすれば、

あの生と死と再生の快感は消え去るだろう。

 

その刹那の時間は抗いがたい、

蠱惑的な魅力を秘めている。

 

※抗いがたい(あらがいがたい)

逆らえない。

 

※蠱惑的(こわくてき)

人の心をひきつけ、まどわすさま。

 

跳ぶか、跳ばざるか。

 

沈黙する宇宙で孤独だった。

 

やがて時間が過ぎ、

俺はゆっくりと目を開けた。

 

その前に広がっていた景色は、

 

未だに俺の脳裏に焼きついて

離れないでいる。

 

結局、

 

どんなに霊感が上がって

別の世界を覗き見ることが出来ても、

 

俺の辿り着ける場所は限られている。

 

その先には底知れない断崖があり、

 

その向こうに広がる世界にいる人には

決して近づけない。

 

それを知った。

 

その日、

 

立ち尽くす俺に「帰ろう」

と言った師匠は、

 

優しく、

冷たく、

 

そしてどこか悲しげな目をしていた。

 

(終)

次の話・・・「雨上がり 1/2

原作者ウニさんのページ(pixiv)

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