貯水池 4/5

貯水池

 

「稲川淳二でも聞こう」

 

夜のドライブにはやはり、

このBGMしかない。

 

僕もすでに洗脳されつつあるらしい。

 

「あの手の平。

フロントガラスの。

 

あれ、2種類あったよね」

 

「え?」

 

「いや、気づいてないならいい」

 

師匠はあの異常な状況下でも、

 

ガラスに浮かび上がった手の平の形を

冷静に判別していたのだろうか。

 

「それって、どういう・・・」

 

と問いかけた僕に、

 

淳二トークのツボに入った

師匠の笑い声がかぶさり、

 

そのままなおざりにされてしまった。

 

車は前回と同じ道をひた走り、

同じルートで貯水池へアプローチを始めた。

 

今夜は視界が良い。

 

月も出ている。

 

同じ場所から減速を始め、

 

師匠は「今日も出るかな」と言いながら、

ハンドルをソロソロと操作する。

 

いた。

 

黒いフード。

 

夜陰になお暗い、

この世のものではない儚げな存在感。

 

その姿は、

また今度もフェンスの内側にあった。

 

そして右手を挙げている。

 

緊張が高まってくる。

 

車はその目前で止まり、

エンジンをかけたまま師匠が降りる。

 

慌てて僕もシートベルトを外す。

 

師匠がフェンスの格子越しに、

黒い影と向かい合っている。

 

手には金属バット。

 

空には月。

 

「乗る?」

 

あまりに直截すぎて

間が抜けて聞こえるが、

 

師匠は師匠なりに緊張しているのが

声の震えでわかる。

 

土の上になにか、

重いものが落ちる音がした。

 

フードの足もとに、

 

滴る水に混じって

黒い石が落下している。

 

右手は挙げたままだ。

 

一度は遁走した霊を相手に、

もう一度近づくだけならまだしも、

 

車に乗るように語り掛けるなんて

正気の沙汰ではない。

 

※遁走(とんそう)

逃がれ去ること。逃走。

 

黒い影から石が落ちるのが止まった。

 

風が凪いだような、

空白の時間があった。

 

しかし次の瞬間、

貯水池の水面がさざめいたかと思うと、

 

なにか小さい黒いものが

水の中から斜面に這い上がり、

 

あっという間もなく、

 

黒いフードの影の背後から

その足元に絡み付いた。

 

息をのむ僕の目の前で、

 

黒い影が斜面を引きずられるようにして、

貯水池の方に引っ張られていく。

 

挙げていた右手がそのまま、

 

まるで助けを求めるように、

こちらに突き出されている。

 

そして、

 

音もなく影は暗い水の中に

引きずり込まれていき、

 

気がついた時には、

 

微かな波紋が月の光に

淡く残るだけだった。

 

静寂が訪れる。

 

僕らはフェンスに掻きつくように近づく。

 

しかし、

目の前には何事もない。

 

ただの夜の貯水池の静かな情景が、

月明かりの下に広がっているだけだった。

 

僕の肺は、

急に小さくなってしまったようだ。

 

息が、苦しい。

 

やがて師匠が口を開いた。

 

「フロントガラスの手の平は、

大きい手と小さい手の二通りあった。

 

多分、小さい方が、

心中で先に殺された赤ん坊のものだろう。

 

母親の魂がこの世界を離れるのを、

あの赤ん坊が留めているんだな。

 

死んだ後も、

その重石としての役割を果たして」

 

師匠の言葉に、

さっき見た小さい黒いものが、

 

赤ん坊の姿かたちをしていたような

イメージが脳裏をよぎる。

 

では、あの二人は、

この貯水池に永遠に縛られたままなのか。

 

その絶望的な想像に、

僕はしゃがみ込んだ。

 

俯いて地面だけを見ている。

 

師匠は何を考えているのだろう。

 

僕にはわからない、

 

心中という道を選んだ母親の心を

想像しているのだろうか。

 

少し寒くなってきた。

 

車からつけっ放しの稲川淳二の

声が微かに流れてくる。

 

師匠はそれが聞こえていたのか、

ふいにクスッと笑うと、

 

踵を返して、

 

「バッテリーがあがる。帰ろう」

 

と言った。

 

師匠のフェンスを握っていた指が離れたのか、

カシャンという音が響き、

 

僕も我に返って、

振り向きながら立ち上がった。

 

その次の瞬間。

 

目の前に壁があることに気がついた。

 

いびつな菱形をした金網の格子。

 

それが僕の体にぶつかったのだ。

 

格子の向こうには、

 

車のライトとそこへ歩いていく

師匠の背中がある。

 

鳥肌が全身に立つ。

 

心臓が早鐘のように鳴る。

 

いつの間に、僕は、

フェンスの内側にいたのか。

 

「師匠ーっ!」

 

格子に指をかけながら、

思い切り叫んだ。

 

その瞬間、師匠は振り返り、

目を剥いて僕を見た。

 

「いつの間に中に入った」

 

自然、声が大きい。

 

入ってなんかいない。

 

どうやってこの鉄条網つきの

高いフェンスの内側に入れるというのか。

 

・・・けれど、

確かにここはフェンスの内側なのだ。

 

ばちゃん。

 

という音がして、

背後を見た。

 

貯水池の黒々とした水面に、

なにか手のようなものが突き出されている。

 

それが地面を掴み、

 

ヌルヌル光る泥のようなものを纏いながら、

這い上がろうとしていた。

 

「退いてろ」

 

という声とともに、

師匠の金属バットがフェンスを殴打する。

 

しかし、

 

小さな火花が散っただけで、

衝撃は波のように左右へ広がるだけだった。

 

べちゃんべちゃんという

気持ちの悪い音が地面を叩き、

 

小さくて黒いものが斜面をよじ登ってくる。

 

「出入り口は!」

 

「反対側です」

 

心臓が止まりそうな恐怖を味わいながらも、

僕は正確に答えた。

 

「でも金属の鍵が掛かってます」

 

「フェンスの下を掘れないか」

 

「無理そうです」

 

師匠の舌打ちが聞こえた。

 

サッと走り去る気配。

 

僕は砕けそうになる足腰を

かろうじて支えながら、

 

貯水池に正対した。

 

斜面に泥の跡を残しながら、

小さくて黒いものがこちらに這って来ている。

 

黒いフードの人影にはあった

僅かなヒトの意思というものが、

 

この小さい黒いものからは、

一切感じられない。

 

(続く)貯水池 5/5

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