貯水池 2/5

貯水池

 

そのあと、

 

師匠が作った夕飯のご相伴に

預かったのだが、

 

これが酷い代物で、

 

なにしろ500グラム100円の

パスタ麺を茹でて、

 

その上に何かの試供品でもらったらしい、

聞いたこともないフリカケをかけただけという、

 

料理とも言えないようなものだった。

 

「毎日こんなものを食べてるんですか」

 

と訊くと、

 

「今はダイエット中だから」

 

という真贋つきかねる回答。

 

家賃も安いし、

 

一体何に金を使っているのやらと、

余計な詮索をせざるを得なかった。

 

あっという間に食べ終わってしまい、

 

師匠は水っ腹でも張らすつもりなのか

麦茶をがぶ飲みし、

 

トイレが近くなったようだった。

 

「僕もトイレ借ります」

 

と言って、

 

戻ってきた師匠と入れ違いに

部屋を出る。

 

このクラスのアパートだと、

トイレは普通なら共有なのだろうが、

 

なぜかここには専用のトイレがある。

 

ただし、

 

一度玄関から外に出ないと行けないという

欠陥を持っていた。

 

生意気に洋式ではあったが、

これがおもちゃのようなプラスチック製で、

 

なるほど、

 

ダイエットでもしていないと、

いつかぶち壊れそうな普請だった。

 

※普請(ふしん)

土木・建築の工事。

 

便座を上げて用を足しながら、

冬は外に出たくないだろうなあと、

 

すでに秋も半ばという

ほのかな肌寒さに、

 

しばし思いを馳せた。

 

戻ってくると師匠が上着をまとって、

「さあ行くか」と立ち上がった。

 

「雨、降りそうですよ」

 

「うん。車で行こう」

 

師匠の軽四に乗り込んだ時には、

日はすっかり暮れていた。

 

そして走り出して

100メートルと行かないうちに、

 

フロントガラスを雨の粒が叩き始める。

 

「稲川淳二でも聞こう」

 

カーステレオからは、

滑舌の悪い声が流れてくる。

 

師匠は完全に稲川淳二を

ギャグとしてとらえていて、

 

気分が沈みがちな時には、

 

その怪談話をケラケラ笑いながら

聞き流してドライブする、

 

というのが常だった。

 

僕はその頃、

 

まだ稲川淳二を笑えるほど

スレてはいなく、

 

その独特の口調による怪異の描写に

少しゾクゾクしながら、

 

助手席で大人しくなっていた。

 

雨の降り続く中を車は走り、

やがて貯水池のある道路に差し掛かった。

 

師匠はギアを2速に落とし、

 

2メートルあまりの高さのフェンスを

左手に見ながらそろそろと進む。

 

雨が車の窓やボンネットに跳ねる音と、

 

ワイパーがガラスを擦るキュッキュッ

という音がやけに大きく響き、

 

僕は少し心細くなってきた。

 

「あれかな」

 

師匠の声に視線を上げると、

 

車のライトに反射する雨粒の向こうに、

人影らしきものが見えた。

 

だんだんと近づくにつれ、

 

それがフェンスの向こう側に

いることに気づく。

 

近くに民家もなく、

人通りもない。

 

そこに雨の中、まして、

 

夜に一人で貯水池に佇んでいる人影が、

まともな人間だとは思えない。

 

少なくとも、

僕のよく知る世界のおいては。

 

さらにスピードを落として車は進む。

 

そしてあと10メートルという距離に来た時、

意表を突かれることが起こった。

 

そのフードをすっぽりと被った人影が、

右手を挙げたのである。

 

まるで『乗せてくれ』と、

言いたいかのように。

 

僕の知る世界において

馴染みのある仕草に一瞬混乱し、

 

次に起こった思いは、

 

乗せてあげないといけないという、

至極当然の人間心理だった。

 

雨の中、

困っている人がいたら、

 

たとえタクシーでなくとも

乗せてあげるだろう?

 

その、一見すると正しいように見える

着想を口にした途端、

 

※着想(ちゃくそう)

ある物事を遂行するための工夫や考え。思いつき。

 

次の瞬間、

師匠の一言に掻き消された。

 

「あれはヤバイ」

 

緊迫した声だった。

 

クラッチを踏んでバックするべきか

刹那の迷いのあとで、

 

師匠の足は全開でアクセルを

踏み込んでいた。

 

背もたれに押し付けられるような

加速に息を詰まらせ、

 

心臓がしゃっくりあげる。

 

「どうしたんですか」

 

ようやくそれだけを言うと、

 

助手席の窓から右手を挙げたままの

黒い人影が、

 

フェンスの向こうに立っている姿が

一瞬見えて、

 

そしてすぐに後方へ飛び去って行った。

 

顔も見えない相手と、

なぜか目が合ったような気がした。

 

「雨に濡れて途方に暮れてるヒトが、

なんでフェンスの向こう側にいるんだ。

 

人間じゃないんだよ!」

 

そんな言葉が師匠の口から迸った。

 

フェンスは高い。

 

上部には鉄条網もついている。

 

そして貯水池に勝手に入り込めないように、

唯一の出入り口は錠前に固く閉ざされている。

 

その向こう側に、

 

車に乗せて欲しい人がいるはずは、

確かに無いのだった。

 

そんな当然の思考を鈍らされ、

 

僕一人ならそのまま確実に、

心の隙に付け込まれていた。

 

ゾッとする思いで、

呆然と前方を見るほかはなかった。

 

しかし、

 

すぐに気を奮い立たせ、

後ろを振り返る。

 

リアウインドの向こうは

暗い闇に閉ざされ、

 

もう何も見えない。

 

そう思った瞬間に、

なんとも言えない悪寒が背筋を走り、

 

視線が後部座席のシートに

ゆっくりと落ちた。

 

表面が水で濡れて微かに光って見える。

 

女が忽然と車中から消える

濡れ女という怪談が頭をよぎり、

 

つい最近読んだのは、

 

あれは遠藤周作の話だったかと

思考が巡りそうになったが、

 

脊髄反射的に出た、

自分の叫び声に我に返る。

 

「乗せてなんかいないのに!」

 

(続く)貯水池 3/5

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