物乞いをする不思議な老人
もう随分と前になるが、私は学生時代に一度だけ奇妙な体験をしたことがある。
高2の春だった。
その日はたまたま早く帰ることが出来た為、ちょっと散歩でもしようと3つも前の駅で降り、知らない道を周って帰ることにした。
いざとなれば途中のスーパーやファミレスの看板でも頼りにすれば家に着けるだろうと考え、路地裏や通学路をフラフラと歩いていた。
すると、何個目かの曲がり角で「お嬢さん」と声がする。
振り返ってみると、失礼ながらかなりみすぼらしい格好のおじいさんが座り込んでいた。(いわゆる浮浪者ではなく、小綺麗だがその全体が古ぼけてボロのような)
己の運の強さに感心
おじいさんはシワだらけの顔をニコニコとさせている。
そして、「すまないが、水をくれませんか?」と呟いた。
呻(うめ)くでもなく、嗄(か)れ声でもなく、言うなればジワッとした明瞭な声だった。
重ね重ね失礼ながら、水なら公園や駅前にもある。
これは訳アリだなと思った私は、よせばいいのにペットボトルの水を渡した。
偶然にも、学食のコップに注いで飲んでいたので、口は付けていないから良いかと思っての判断だった。
この時は、『プチ善行』とすら思っていた。
おじいさんは大儀そうに腕を伸ばしてペットボトルの下方を受け取ると、蹲(うずくま)るように礼をする。
それに合わせて私も会釈をして、またしばらく歩いた。
涼しくて良い散歩日和だと思った。
猫が居たのでそれを眺め、もう桜が咲き始めていたのでそれも眺め、視線を下ろすと道の脇に老人が居た。
ギギギと音がしそうなゆっくりとしたスピードで首をこちらに向け、「すまないが、飴をくれませんか?」と呟いた。
これまた失礼ながら、この町はこんなホームレスが多いのか?と思いつつ、飴は持っていなかったので先日友人から貰ったキャラメルをそのまま横流しした。
しわくちゃの手にそれを落とすようにして渡し、そろそろ知っている道まで戻ろうと少し歩くスピードを速めた。
すると、工場の裏に老人が居た。
「紙をくれませんか?」と聞かれたので、授業で配られたファイルの中紙として挟まっていた藁半紙を渡した。
民家の軒下に老人が居た。
「鉛筆をくれませんか?」と聞かれたので、教室で拾ってそのまま持ってきてしまったチビ鉛筆を渡した。
石塀に寄りかかった老人が居た。
「鈴をくれませんか?」という言葉には内心焦った。
そう言えば、マスコットが千切れたのでやると押し付けられた、鈴だけ付いている根付けがある。
何年も前に誰かから押し付けられたものだが、その誰かが思い出せなかったので時効だと思い渡した。
次また老人だったら断ろうと思っていたが、会うたび会うたび、どうしても前に会ったおじいさんの容姿が思い出せなくて返答に詰まった。
イメージは大体重なるのだが、細かいパーツや服装がどうしても思い出せない。
これまで書いてきた出来事も、かなり時間をかけてなんとか思い出した要素だ。
あと一本、この路地を抜けたら絶対に自分の知っている道に出る。
それはよく分かっていた。
だから、そのアーケードには誰も居なくて、その出口の場所におじいさんが蹲っているのだろうと思った。
「お嬢さん。花を、花を私にくれませんか?」
ここまでかいくぐって来られた運が、とうとう尽きたと本気で思った。
向こうに見える植え込みに、なんとかタンポポが見えたような気もしたが、それはこの老人の前を素通りすることになる。
『取ってきます』と言うだけの度胸が私にはなかった。
さっさとこの難題を片付けて、まともな方へ帰りたいと本気で思った。
花はどこにあるのか。
その時、ハッとした。
去年の入学式で渡された造花のコサージュが、鞄のポケットに突っ込みっ放しになっているはずだ。
あった、これだって花だ!
おじいさんの前までツカツカと歩み寄り、目の前にその少しヨレヨレになったコサージュを示してやった。
「こんなのしかありませんけど・・・」と思いっきり震えた声で見得(みえ)を切る自分に、おじいさんは「お有難う御座います」と初めて礼を口にし、品物を両手で受け取った。
あの時ダッシュで家に帰った時から、こうしてまた桜を眺めている何年も経った今まで、私には何のオカルト的な異常も起きていない。
今はただ、あの難題をふっかけられた時に、一つも自分に深く関わる物を要求されなかった己の運の強さに感心するばかりである。
最後に、あのアーケードにはその後も行く機会が多々ありましたが、何のトラブルもない普通のアーケードでした。
(終)
素通りすると怒られるかもという脅迫観念