黒いやつにずっと追われている 1/2
私は、ずっと母親と二人で暮らしてきた。
父親は私が生まれてすぐにいなくなった、
と母親に聞いた。
祖父や祖母、
親戚などに会ったことはない。
そんなものだと思っていた。
それが異常な境遇だということに気付いたのは、
ずっと後になってからのことだった。
いつ頃のものかはわからないが、
姉がいた記憶がある。
夢のように微かな記憶なので、
本当のものなのかはわからない。
ただ、小さい頃、
母親にそのことを話すと、
なぜか酷く叱られた。
その頃は引っ越しばかりしていた。
同じ場所に1年いることはなかったと思う。
母親に理由を聞くと、
「追いかけられているからだ」
という答えが返ってきた。
「何に追いかけられているのか」
と尋ねると、
「とても恐ろしいもの」
だと。
「どれだけ逃げ回っても、
必ず追いかけて来る。
黒いやつが真っ先に見つける」
とも言っていた。
引っ越しの仕方も奇妙だった。
朝起きると、
いきなり母親は荷物をまとめて、
家を出る準備をしている。
家財道具など無いに等しいので、
準備などすぐに終わる。
すると、
近所への挨拶などもなしに、
その足で家を出てしまうのだ。
まるで、
その場の何かから逃れるような、
慌しい引っ越しだった。
母親は行く先々で、
いわゆる霊能者に会っていた。
霊能者達は何か呪文のようなものを唱えたり、
私達に様々な指示を与え、
それに従うように命じたりした。
しかし、効果が無かったのか、
私達の引っ越しは延々と続いた。
ある霊能者は、
最後にこんなことを言った。
「あなたに憑いているものを祓うのは、
私には無理です。
ひょっとすると、
祓える者などいないかも知れない」
小学校4年生になった頃、
私と母親はある寺に転がり込んだ。
そこの住職が、
悪霊祓いで地元の評判を
取っていたからだった。
私達はその寺の隅にある、
離れで生活を始めた。
毎日、早朝から座禅を組んだ。
お経も覚えさせられた。
時には、水垢離や
護摩の煙を浴びたりもした。
※水垢離(みずごり)
神仏に祈願するため、冷水を浴びて体のけがれを去り、清浄にすること。
※護摩(ごま)
御本尊様の前に壇を設け、いろいろな供物を捧げ、護摩木という特別につくられた薪に「願い」を記し、その薪をたいて金港辯財天様・不動明王に祈る密教の秘法。
住職は、
私達のために毎日のようにお経を唱え、
お祓いの儀式を繰り返していた。
母親はそれに安心したのか、
もう引っ越すこともなく、
寺に留まり続けた。
中学生になり、
私はようやく一所で生活するという事に
慣れ始めた。
学校の友達も出来て、
人並みに勉強もした。
部活も始めた。
そうなると、
寺での生活が疎ましくなってきた。
※疎ましく(うとましく)
うざったく思う ・ 面倒に感じる ・ 嫌気がさす。
そのことを母親にこぼすと、
母親は物凄い剣幕で怒った。
昔の私なら、
その剣幕に驚いて
母親の言うことに従っただろうが、
その頃の私は、
ちょうど反抗期だったせいか、
そんな母親の態度に反発した。
「母親は妄想に取り憑かれているだけだ」
「霊など存在しないし、だから、
ここでしている事なんて何の意味もない」
「この寺の住職は、
私達を自分の霊能力を宣伝する
ダシに使っているのだ」
当時の私の考えは、
大体こんなものだった。
学校や世間で得ることの出来る
様々な意見や知識は、
私のそんな思いを
裏付けるものが多かった。
私の中に芽ばえた『心霊的なもの』
に対する反発心は、
日々ふくれ上がる一方だった。
高校3年生の冬、
夜中に母親の声で目が覚めた。
廊下へ出ると、
母親の部屋の前には
住職と住み込みの坊主がいて、
中を覗き込んでいた。
母親は半狂乱になって、
何かを訴えていた。
「黒いやつが来た」
「もうダメだ」
「大丈夫だと思っていたのに」
「また逃げなければ」
・・・・・・
そんなことを錯乱気味に口走っていた。
私は、また始まったと思い、
「いい加減にしろ!」
と母親を罵倒した。
住職はそんな私を怖い目で睨み付けたが、
何も言わなかった。
私はうんざりして部屋に戻り、
眠ってしまった。
次の日、
学校から帰ってみると、
離れの前の中庭に、
護摩壇がしつらえてあった。
驚く私の目の前で、
白装束に身を包んだ母親が、
住職と一緒に護摩壇のすぐ側で、
一心不乱にお経を唱えだした。
時折水を浴び、
また護摩壇に向かう。
それを何度も何度も繰り返していた。
私も最初は呆気にとられて
その光景を見ていたが、
すぐに馬鹿馬鹿しくなってしまい、
部屋に戻った。
しかし、部屋に居ても外からは、
お経や掛け声が聞こえてくる。
心底うんざりした私は、
寺を出ると友達の家に泊まりに行った。
次の日の朝、
寺に戻ってみると、
驚いたことに母親はまだ
同じ事を続けていた。
私は母親を止めようとしたが、
住職や他の坊主に阻まれ、
あまつさえ、
「昨日は何処へ行っていたのか」
などと詰問された。
※詰問(きつもん)
相手を責めて厳しく問いただすこと。
呆れ返った私は、
なおも詰め寄る住職を無視して部屋に戻り、
学校に行った。
そんな事が3日ほど続き、
疲れ切った母親はぶっ倒れて、
自分の部屋で寝込んでしまった。
次の日、
母親は部屋で首を括って死んだ。
私は悲しみと同時に、
怒りを感じた。
母親を自殺にまで追い込んだのは、
この寺のせいだと思った。
素人の母親が
荒行を3日も続けたことにより、
心身共に疲労困憊して
精神に異常を来し、
ついに自らの命を絶ってしまった。
その時の私は、そう確信した。
葬儀が終わった後、
私は住職を捕まえて、
母親に対する仕打ちを非難し、
寺での生活について口汚く罵った挙げ句、
半ば飛び出すように寺を出た。
高校を中退した私は、
職を変えながら各地を転々として過ごした。
大型免許を取ってからは、
トラックの運転手を始めたが
一所に落ち着くことはなかった。
幼い頃の引っ越し三昧が、
尾を引いていたのかも知れない。