俺はついに神の手を手に入れたようだ

尾根

 

ある山男の話。

 

この話の主人公は”本物の山狂い”だそうで、暇さえあれば山に登っているような男なのだという。

 

ある日のこと、男がとある山へ登ったが、程なくして猛吹雪に見舞われた。

 

疲労困憊しながらも、雪中で決死のビバークを行い、2日後に自力で下山したものの代償は大きかった。

 

※ビバーク

登山中(テントも張れず)緊急避難的に野外で一夜を過ごすこと。野宿。

 

男はこの遭難によって、左手の人差し指と中指、それに薬指を凍傷で失うこととなった。

 

しかし、この程度でへこたれないのがこの男。

 

・・・というより、山狂いに共通する性格である。

 

左手の指をほとんど失っても、男は山に登るのを諦めなかった。

 

むしろ、以前よりも山に対する闘志が強くなったのだという。

 

男は失った指をカバーするために、死に物狂いの研鑽を積み、やがて再び登山を志した。

 

※研鑽(けんさん)

(学問などを)みがき深めること。

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男の命を救ったのは・・・

凍傷事故後、初めての登山だった。

 

男はその日、ある峻厳な岩の尾根を登っていた。

 

※峻厳(しゅんげん)

非常にきびしいこと。

 

指を失いはしたが、本人が思った以上に歩調は快調だった。

 

そのことに安心して、尾根の上で体を起こし、ふぅと息をついた途端だった。

 

ビューウと思い出したように突風が吹き、ふわりと体が持ち上げられた。

 

次の瞬間、バランスを崩して深い谷に真っ逆さまに落ちそうになった。

 

(あっ、落ちる!)

 

そう思った時には自然と体が動いていた。

 

一瞬の間があり、男は目を開けた。

 

そこで男は信じられないものを見たという。

 

男は無意識のうちに左手を斜面に張り出した岩に伸ばし、それで滑落を免れていた。

 

ただよく見ると、左手に残された親指と小指は掴んでいるはずの岩の出っ張りを掴んではいなかった。

 

それどころか、その2本の指はその岩の出っ張りに触れてすらいなかった。

 

男は宙に浮いていたのである。

 

しかし、男には分かった。

 

失われたはずの3本の指が、その岩をしっかりと掴んでいる感触があったのだ。

 

目に見えない3本の指が、男の命を救っていた。

 

極限の緊張と恐怖の中で、男は何度も目を瞬いたという。

 

やがて男は見えない3本の指に体重を預けたまま、無事な右腕を岩の出っ張りに伸ばし、全身を持ち上げた。

 

艱難辛苦の果てに、尾根に全身をずり上げた後、男は左手を見てみた。

 

※艱難辛苦(かんなんしんく)

非常な困難にあって苦しみ悩むこと。

 

しかし、当然ながらそこに無くした指は戻っていなかった。

 

けれど、男の幻の左手の人差し指、中指、薬指の3本の指には、岩のゴツゴツとした感触が消え残っていたという。

 

「俺はついに神の手を手に入れたようだ」

 

男は事あるごとにこの時の体験を口にし、そして真っ赤な顔で笑うという。

 

(終)

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