とびきり腕の良い按摩師の奇術
これは、元同僚が体験した不思議な話。
仕事の元請先に誘われて、温泉旅行に出かけたのだという。
温泉と料理を一頻り堪能して「さぁ寝るか」という頃、仲居さんに声をかけられた。
「お休みになる前にマッサージはいかがですか?ここにはとびきり腕の良い按摩師がいますよ」
彼は肩凝りが酷く、それが原因での偏頭痛にも悩まされていた。
それを仕事仲間にこぼしているのを、どうやら仲居さんに聞かれたらしい。
「腕が良いっていうのならお願いしようかな」
というわけで、マッサージを頼むことにした。
身体から出てくる黒い物
やって来た按摩師は、壮年の男性だった。
佇まいに何というか雰囲気があって、「あぁ、これは確かに腕が良さそうだ」と感じられたのだそうだ。
マッサージを受ける前に色々なことを聞かれたが、なぜかそれだけでかなり凝りが取れたように感じられた。
「肉をリラックスさせて柔らかくするのも技術の一つですよ」と按摩師は笑う。
続けて、「おぉ、確かにこれは随分と硬いですね。一回だけじゃほぐれないかもなぁ」と。
施療に入った按摩師は、彼の身体に手を触れるとそう口にした。
しかし技倆(ぎりょう)は確かなようで、揉みほぐされる部位からどんどんとこわばりが取れていく。
ほぅと息を吐きながら身を任せていると、そのうちおかしなことに気がついた。
按摩師の動きが変だ。
揉んだり押したりするのは分かる。
しかし時々、指を肉の中に突っ込んで、何かを抜き取るような動作をしているのだ。
俯せになっているので何をしているのか見えないが、どうにも気になる。
やがて仰向けに体位を変え足を揉む段階になり、初めて按摩師の行動を確認できた。
施療しながら、按摩師は彼の身体から何か『黒い物』を引っ張り出していた。
非常に小さくてジタバタと暴れている何かを。
黒くぼやけていて、はっきりと見ることが出来ない。
それが抜かれると、ふーっと身体が楽になった。
じっと見ている彼を気にも留めず、按摩師はそれをサッサと手元の袋に押し込んで、平然とマッサージを続けている。
我慢が出来ず、問うてみた。
「今さっき、一体何を抜き取ったんですか?まさか生き物じゃないですよね?」
按摩師曰く、「あぁ、アレが見えますか。あれは疲労と悪い念とが混じって凝り固まったものですよ。勤め人の抱える業とでも言いますか」。
話は続き、「肉だけじゃなく頭まで柔らかくなると動いて見えることもあるのです。一種の錯覚というか、脳が視覚情報としてそう捉えるのでしょうな。見えない人にはまったく見えないらしいのですが。勿論、生き物なんかじゃありませんよ」と。
何となく、上手いこと誤魔化されたような気がする。
『霊が見える人』などと同様に、肩凝りの元も『見える人』と『見えない人』とがいるとでもいうのだろうか。
腑に落ちないまま、尚も尋ねてみる。
「その抜き取ったヤツ、ええと業ですか。それ、一体どうするんです?」
按摩師は返答した。
「食べるんですよ。人間の業っていうヤツは、堪らないほど美味なんです」
マジマジと見つめたところ、按摩士は「あれ?真に受けられましたか?嫌だなぁ、冗談ですよ、冗談。単なる田舎按摩師のつまらない手妻だと思って下さい」と笑いながら手を振って話を終わらせた。
※手妻(てづま)
日本に古くから伝わる手品、奇術のことをいう。
その後は特に変わった話題も出なくてなり、やがてマッサージは終わった。
腕は確かに素晴らしくて、長年悩んでいた凝りが嘘のように取れたという。
しかし今でも、あのもぞもぞと動く何かが気になって仕方がないそうだ。
(終)