そこへ行く時は「やまに気をつけろ」と言われる
これは厳密には山の話ではないが、私はだだっ広い平野の田舎生まれで、山は遠くに青く見えるだけ。
そんな土地で『やま』というのは、普通の日本語で『森』のことだ。(『もり』は『林』)
九州の山国から嫁いできた母は、当初「やまを抜けて行く」と言われてきょとんとしたそうだ。
そんな『やま』も今は切り開かれて少なくなったのだが、まだ残っている所もある。
市内の中学校の周りがそうだ。
その中学校に学校交流や練習試合で行く時は、必ず「やまに気をつけろ」と言われる。
なぜなら、『やま』に入って中学校にたどり着けないことがよくあるからだ。
『やま』に入る前はちゃんと中学校が見えているし、方向を確認して入るのだが、『やま』に入った途端、中学校が見えなくなって方向も間違って迷子になる。
中学校が見えているのに、どうやってもたどり着けないということもあるそうだ。
中学校の門までちゃんと道があるのに、迷子が出る。
鬱蒼としているわけでもない、普通の雑木林なのに。
私の親が言うには、毎年4~5月に1年生と新しく赴任した教師が迷子になっても騒がれなかったらしい。
私も練習試合に行くと間違いなく迷子になったが、どうして迷うのか納得いかなくて腹が立った覚えがある。
一度、向こうの部員が見たいと言った、私のじいちゃんの居合い刀(使用済み)を持っていった時は迷わなかったが。
今は県道が通って跡形もないが、私の行った高校の裏門辺りにも『やま』があった。
親が同じ高校の出身なのだが、家から高校まで歩いて15分もないのに、『やま』を抜けたら異常に時間が経っていて遅刻ということがよくあったらしい。
これは親だけでなく、裏門を使っている生徒が大抵経験していたので、学校が『やま』の入り口と途中に時計を設置したとか。
でも裏門で待っている教師は、『やま』に入って遅刻した生徒を急かさなかったそうだ。
門に立って「遅刻するなよー」、「早くしろよー」と。
教師も迷子になるのが怖かったのかもしれない。
そういったおかしなことをする森のことを『やま』と言っていたのかなと思う。
時に山は人を惑わしたりするから。
今は跡形もない高校裏門の『やま』だが、アスファルトで舗装された綺麗な道の真ん中に、今でも蛇イチゴが生える。
『やま』の一部を使って作ったサッカー場の時計は、気がつくと狂っていたりする。
あの土地は、まだ自分を『やま』だと思っているのだろう。
(終)