牛の首という恐ろしい怪談について

牛

 

ただの噂と思っていた

怪談なのですが 、

 

とある口伝でこのような話を

仕入れてしまいました。

 

自分だけ聞いておくには

真に惜しい話なので、

 

ここでお伝えいたします。

 

それは『牛の首』という

怪談でございます。

 

牛の首の怪談とは、

 

この世の中で一番怖く、

また有名な怪談であるが、

 

あまりの怖さ故に、

 

語った者や聞いた者には

死が訪れる・・・。

 

よって、

 

その話がどんなものかは

誰も知らない・・・

 

という話。

 

私も長い間、

 

こんなのは嘘だ、

デタラメだ、

 

一人歩きした怪談話さと、

鷹を括っていたんですが・・・

 

お聞き下さい。

 

明治初期、

廃藩置県に伴って、

 

全国の検地と人口調査が

行われた。

 

廃藩置県(Wikipedia)

 

これは、地価に基づく

定額金納制度と、

 

徴兵による常備軍を

確立するためであった。

 

東北地方において、

 

廃墟となった村を

調査した役人は、

 

大木の根本に埋められた

大量の人骨と、

 

牛の頭らしき動物の骨

を発見した。

 

調査台帳には特記事項として

その数を記し、

 

検地を終えると、

 

そこから一番近い南村へと

調査を移した。

 

その南村での調査を終え、

 

村外れにある宿に

泊まった役人は、

 

この村に来る前に出くわした

不可解な骨のことを、

 

夕食の席で宿の主人に

尋ねた。

 

宿の主人は、

 

関係あるかどうかは

分からないが・・・

 

と前置きをして、

次の話を語った。

 

以下はその言葉を

書き取ったものです。

 

天保3年より数年に渡り、

大飢饉が襲った。

 

俗に言われる、

天保の大飢饉である。

 

天保の大飢饉(Wikipedia)

 

当時の農書によると、

 

倒れた馬にかぶりついて

生肉を食い、

 

行き倒れとなった死体を

野犬や鳥が食いちぎる。

 

親子兄弟においては

情けもなく食物を奪い合い、

 

畜生道にも劣る。

 

といった、

悲惨な状況であった。

 

天保4年の晩秋、

 

夜も更けた頃、

 

この南村に異形の者が

迷い込んで来た。

 

ふらふらと彷徨い歩く

その躰は人であるが、

 

頭部はまさしく

牛のそれであった。

 

数人の村人が捕まえ

ようとしたその時、

 

松明を手にした隣村の者が

十数人現れ、

 

鬼気迫る形相にて、

 

「牛追いの祭りじゃ!」

「他言は無用!」

 

と口々に叫びながら、

 

その異形の者を捕らえ、

闇に消えていった。

 

翌日には村中でその話が

ひそひそと広がったが、

 

誰も隣村まで確認しに

行く者はいなかった。

 

また、

 

その日の食うものもない

飢饉の有様では、

 

実際にそれどころでは

なかった。

 

翌年には秋田藩より

徳政令が出され、

 

年貢の軽減が行われた。

 

その折に隣村まで行った

者の話によると、

 

すでにその村には人や

家畜の気配は無かった、

 

とのことだった。

 

それ以後「牛の村」

その村は呼ばれたが、

 

近づく者もおらず、

 

今は久しくその名を

呼ぶ者もいない。

 

重苦しい雰囲気の中で

宿の主人は話し終え、

 

そそくさと後片付けのために

席を立った。

 

役人は、

その場での解釈は避け、

 

役所に戻り、

調査台帳をまとめ終えた頃、

 

懇意にしていた職場の

先輩に意見を求めた。

 

先輩は、天保年間の

村民台帳を調べながら、

 

考えを述べた。

 

大飢饉の時には、

 

餓死した者を家族が食した

例は聞いたことがある。

 

しかし、

その大木のあった村では、

 

遺骸(遺体)だけではなく、

 

弱った者から食らった

のであろう。

 

そして、

 

生き人を食らう罪悪感を

少しでも減らすため、

 

牛追いの祭りと称し、

 

牛の頭皮を被せた者を

狩ったのではなかろうか?

 

おまえの見た人骨の

数を考えると、

 

ほぼその村全員に相当する。

 

牛骨も、

家畜の数と一致する。

 

飢饉の悲惨さは

筆舌に尽くし難い。

 

村民はもちろん、

 

親兄弟も凄まじき

修羅と化し、

 

その様はもはや人の営みとは

呼べぬものであったろう。

 

このことは誰にも語らず、

その村の記録は破棄し、

 

廃村として届けよ。

 

また、南村に咎を求める

ことも出来まい。

 

人が食い合う悲惨さは

繰り返されてはならないが、

 

この事が話されるのも、

はばかりあることであろう。

 

この言葉を深く胸に

受け留めた役人は、

 

それ以後、

誰にもこの話は語らず、

 

心の奥底にしまい込んだ。

 

日露戦争が激化する頃、

病の床についたこの男は、

 

戦乱の世を憂い、

枕元に孫たちを呼び寄せ、

 

切々とこの話を語ったという。

 

この孫の中の一人が、

自分である。

 

当時は気づかなかったが、

 

祖父が亡くなった後に

分かったことがあった。

 

何の関係もないと思われた

南村の者が、

 

隣村の民全員を

牛追いの祭りと称して狩り、

 

これらを食らったのが

真実である。

 

そうでなければ全員の骨を

誰が埋められるものか・・・。

 

それ故、

 

牛の首の話は繰り返されては

ならない事だが、

 

話されてもならない話であり、

呪いの言葉が付くようになった。

 

誰の口にも上らず、

内容も分からぬはずであるが、

 

多くの人々が「牛の首」

の話を知っている。

 

物事の本質を突いた話は、

それ自体に魂が宿り、

 

広く人の間に広まっていく

ものである。

 

※参考:牛の首(Wikipedia)

 

(終)

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