呪われた首なし地蔵の噂 2/2
なんとか森を出ると、10人以上いたメンバーが6人しかいないことに気付いた。
Kや、セミの兄さんもいなかった。
「どうしよう。僕はもうあの森には絶対に入らないし、でも母ちゃんとか心配してしまうし・・・」
誰かがそう言うと、皆が沈黙してしまった。
結局、各々自分の家に帰って親に話をして、その日のうちに警察の捜索が始まった。
いくつかの質問を受けた後、もう遅いから早く寝なさいと言われ、それに従った。
その夜はなかなか眠れず、逆さまの男の姿と、おかしな爺さんの姿が頭の中でぐるぐる回っていた。
そして、ふと気が付いた。
似ていた。
確かに似ていた。
逃げている時はパニック状態でほとんど意識できなかったが、さっきの逆さまの男の後頭部とか、服装とか、体格とか、“セミの兄さんそのもの”だった。
それぞれの状況が明らかになっていく
翌日学校へ行くと、昨日はいなかったメンバーの全員が来ていて、ほっとした。
しかし、隣町の団地の男子一人とセミの兄さんが未だに見つかっておらず、警察の捜査が続いているそうだった。
途中ではぐれたメンバーに昨日のことを聞いてみると、「うちらも見たわ。やばいと思って奥の方で隠れながらいつ逃げようかって悩んでて、でもセミの兄さんがここにいろって言うから警察の人が来るまでずっと隠れてた」
警察が来た時には、セミの兄さんの姿はどこにもなかったそうだ。
そしてKの姿も・・・。
ただ、問題の『首なし地蔵』があった所には、首がない5体の地蔵の後方の地面に大きな穴が開いていて、その中に何十枚にも及ぶ“大量の赤い頭巾”が放り込まれていた。
その赤い頭巾に埋もれるかのようにして、穴の底から小柄な老人の腐乱死体が見つかった。
死後1ヶ月は経っていたらしく、栄養失調による衰弱死との事だった。
僕は、あの時にセミの兄さんと入れ替わるようにして現れた、変な目つきの爺さんのことを思い出した。
キョロキョロとした目つきとその異様な雰囲気はあまりにも異常だったので、今でも忘れられない。
結局、Kもセミの兄さんもその後見つからず、警察の捜査もいつの間にか終わっていた。
僕らは隣町の団地の山には二度と近づかず、首なし地蔵のこともいつしか忘れていった。
それから10年ほどが経ち、小学校の同窓会に呼ばれて久々に地元へ戻ることになった。
そこで偶然にも、あの時に一緒に団地の山へ行った友達に出会い、恐ろしい話を聞いた。
なんと、あの後にKもセミの兄さんも見つかったというのだ。
どちらも死体で。
僕が就職と同時に地元を離れて間もなく、『住宅一棟全焼。焼け跡から家族全員の焼死体が見つかる』というニュースが地元で流れた。
その住宅というのがまさしくKの家で、Kを除く家族の人たちは皆、リビングルームで亡くなっていたらしい。
しかし、火元を調べているうちに家の床下からもう1体の遺体が出てきて、その遺体がKのものであると分かったのだ。
他の家族の遺体とは異なって完全に白骨化しており、しかも床下からはハンカチサイズの真っ赤な頭巾が何十枚も出てきた。
首なし地蔵の後ろの穴に入っていた頭巾と同じように・・・。
そして、程なくしてセミの兄さんの捜索が再開され、例の団地の山奥でセミの兄さんが見つかった。
僕たちは全く気付かなかった事だったのだが、実は首なし地蔵のある場所の近くから小道が伸びており、その先には小さな祠(ほこら)があったのだ。
その祠には赤い頭巾を被った1体の地蔵が祀られており、お供えものなどが置いてあった。
セミの兄さんは、祠のすぐ近くの草むらの中から見つかった。
セミの兄さんの遺体の様子については、現在も捜査が続行中ということで詳しいことは教えてもらえなかったらしい。
ただ、「着衣した状態で白骨化していた」こと、「他殺と認められる形跡があった」ということは確かで、その友達は警察から不愉快な質問を色々と受けたようで心底うんざりした様子だった。
僕はセミの兄さんがあの日「ちょいとションベン」と言って木陰に入っていってしまったのを最後に、二度と見ていない。
でも、多分セミの兄さんの死体は逆さまの姿で見つかったのではないかと思った。
あの時の逆さまの男の後頭部が、服装が、体格が、一緒に遊んでもらった兄さんの姿そのままに今でも目に焼きついているから。
以上が僕が体験したことの全てです。
不可解な部分が多いのですが、その時に一緒にいた友達のほとんどは、僕も含めて地元を離れてしまったので詳しいことは分かりません。
首なし地蔵は今でもそのまま残っているそうですが、たまに和菓子などのお供えものが置いてあるという事です。
それに、しばしば自殺者が出ているという話も聞きました。
いずれにせよ、もう二度とあの場所には行くことはないと思います。
(終)