津波にまつわる昔話
これは、津波にまつわる昔話。
この話は私自身、
郷土の史書や怪談集から
同様の話を数多く発見したので、
一部では有名な話なのかも知れない。
また、無論のこと史実ではなかろうが、
何かちょっと心惹かれるものを感じる。
※史実(しじつ)
歴史上の事実。
話の内容はこうだ。
何のために津波を起こすのだろうか?
ある時、
青森の小湊に津波が来襲した。
多くの家屋が流され、
また多くの人命が失われた。
・・・しかし、
更地になった町を歩いていた
一人の男が声を上げた。
化け物のように“巨大な蟹”が
打ち揚げられていたのだ。
甲羅が八尺(2.4m)もあったというから、
脚の長さまで含めると、
5mぐらいにはなったんじゃなかろうか。
津波の原因はこいつだと合点した村の人々は、
怒りに燃えて蟹に打ちかかった。
瓦礫や千切れた網を動員しての白兵戦は
熾烈(しれつ)を極めた。
蟹は自慢の鋏(はさみ)で網を破り、
棍棒をへし折ったが、
劣勢になったのを感じてか、
やがて海へと逃げ帰っていったという。
しかし、後日になって蟹は、
再び小湊の村を襲撃した。
しかも、男たちが漁で留守にしている
昼間を狙ってだ。
蟹はその巨大な鋏で逃げ惑う女子供の首を
パチンパチンと次々に跳ね、
先日の恨みとでも言うように、
小湊の町を荒らし回った。
小湊の町は跳ねられた女子供の血で
真っ赤に染まったという。
漁から帰ってきた男たちを待っていたのは、
変わり果てた家々と、
累々と転がる死体の山だった。
※累々(るいるい)
積み重なっているさま。
男たちや生存者たちは憎しみに燃え、
大蟹討伐隊を結成した。
遺された者たちは来る日も来る日も海を見回り、
あの憎き大蟹がやってくるのを待った。
そしてある日の月の晩、
大蟹が丘へ上がっているのが発見され、
男たちは総力戦を挑んだ。
戦いは熾烈を極めたが、
ついに討伐隊は大蟹の右の鋏を
叩き落とすことに成功し、
大蟹は片腕になりながらも海へ逃げ帰った。
叩き落された右の鋏は、
大人の手のひらを二つ合わせた
くらいになったという。
その戦いから数日後のことだ。
ある人が海辺を歩いていると、
丘にあの大蟹がいるのを発見した。
しかし、大蟹の様子が妙だ。
蟹は自分が殺した女子供の
墓の前に跪(ひざまず)き、
じっとしているのだった。
片腕になった蟹は、
墓に向かって自分の凶行を懺悔するように
ブクブクと泡を吹いていて、
まるで泣いているようだった。
・・・とにかく、
墓の前にいるボロボロになった大蟹の様は
遺された者たちの目にも何か悲しく、
そして侘(わび)しく見えたのだという。
それを見ていた内の一人が、
「もうやめよう」と言った。
それを見ていた人々は無言で頷いた。
泣いている者もいたという。
大蟹はしばらくするとのっそりと身体を持ち上げ、
しおしおと海へ帰っていったという。
※しおしおと
気落ちして元気がないさま。
それから時代が下るとまた津波が来て、
その度に小湊の漁師たちと大蟹は憎み合った。
※時代が下る
時代が現代に近づくこと。
その時、大昔に打ち落とされたはずの
右の鋏は再生していたというが・・・
一体この大蟹は、
何のために津波を起こすのだろう。
未だに小湊では良いサイズの蟹が獲れるが、
件の化け物大蟹は網にかからないという。
(終)