ヒサルキの真相について 3/3

人食い

 

研究所に戻った私を待っていたのは、

あの冷泉中尉であった。

 

彼は研究所前の門で独り立っていた。

 

恐らく顔面蒼白だったろう私は、

一礼して彼の横を通り過ぎようとする。

 

その時、

彼は通り過ぎざまに言ったのだ。

 

この研究も佳境に来ているので、

暫くは彼女と会うのは慎んで欲しい、と。

 

実際のところ、

私はそうせざるを得なかった。

 

何故なら、これ以降、

 

私は研究室から出るのにも

相応の理由が必要となり、

 

これは体の良い軟禁状態だったからだ。

 

だが、一日の内の数十分ではあったが、

私と彼女は会うことが出来た。

 

あの神社での一件を問い質す事には

気が引けたものの、

 

そんな事を忘れさせてくれる様な事が

起こったのである。

 

彼女が私の子を宿したのである。

 

私達は自分が子供になったみたくはしゃいで、

この子の名前を考えた。

 

そして、

二人の名前から一字ずつ取って、

 

男の子だったらこの名前にしようと

決めたのだ。

 

「久幸」と。

 

この後の事は余り語りたくない。

 

だが、一言で述べるならば、

私と彼女の日々は壊れてしまった。

 

いや、壊れてしまったのは、

私と彼女の方なのかも知れない。

 

とにかく、

 

その夜、私は罵倒と悲鳴で

目を覚ました。

 

私は暗闇でそのままじっとしている。

 

何か物が壊れる音が、

研究所中から聞こえる。

 

それは高い、低い、鈍い、

鋭い、乾いた、湿った、

 

在りと在る破壊音だった。

 

どれだけ経っただろうか、

唐突に音が止む。

 

油に火を入れると、

それを明かりに廊下へと出た。

 

そこには、

何人もの研究所職員が倒れていた。

 

慌てて駆け寄ろうとして、

気付く。

 

彼らには全て、

何処か部品が足りなかった。

 

それは手であったり、

足であったり、

 

頭であったりした。

 

腹を裂かれて

内臓が零(こぼ)れ出している者は、

 

それを掻き入れようと必死である。

 

私は何度も吐きながら、

 

何も吐くものが無くなった頃に、

漸く研究所の入口に辿り着いた。

 

そこに滴り落ちている鮮血は、

所々が途切れながらも、

 

あの山の深くへと連なっている。

 

実を言えば、

この後の記憶は無い。

 

恐らく、

 

研究所からあの神社へと

足を運んだはずなのだ。

 

だが、

その間の記憶はすっかり欠落し、

 

次に覚えているのは神社の床に転がる

冷泉中尉の死体だった。

 

私は視線を横にずらす。

 

くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。

 

そして咀嚼音。

 

※咀嚼(そしゃく)

食べ物を歯で噛み切り、奥歯で砕き、飲み込むこと。

 

「久幸・・・久幸・・・」

 

彼女は赤子を逆さにして両手で掴むと、

湯気の立つ内臓を貪っていた。

 

私は何も出来なかった。

 

彼女がすっかりその赤子を

食べ終わってしまうまで、

 

私は何も出来なかったのだ。

 

彼女がこちらを見ている。

 

きっと私も食われるのだろう。

 

でも、それでもいいと思った。

 

そこにあったのは自責の念かも知れないし、

或いは違うかも知れない。

 

「・・・・・・」

 

私は目を瞑った。

 

「・・・・・・」

 

目を開いた時、

しかし彼女は何処にも居なかった。

 

そして私は暫く泣いた。

 

その後、

 

世間が神武景気に始まる

高度経済成長に沸く中でも、

 

「最早、戦後ではない」

 

と言われるようになっても、

 

私は彼女の足取りを

丹念に追い続けていた。

 

その途上、

 

幾つか彼女の断片を、

見つけることが出来た。

 

例えば、

 

彼女は「組織」から「献体丙」と

呼ばれていたこと。

 

何度か家畜を貪り食らう彼女が

目撃されたこと。

 

そして、その際に「久幸」と

繰り返していたことから、

 

彼女が「ヒサユキ」と呼ばれるように

なったこと。

 

例えば、

 

鬼に関する生物学的変容は、

可逆性を有していること。

 

すなわち、

物質的存在である鬼は、

 

霊的存在である幽霊に変容することも

可能であること。

 

そして、その両変容ともに、

人間の情念を必要とすること。

 

例えば、

 

この掲示板に寄せられた、

ヒサユキ・ヒサルキの情報の数々。

 

以上で、

この年寄りの話は終わりにしたい。

 

そして、

この話の一切を忘れて欲しい。

 

何故なら、

誰かが彼女のことを覚えている以上、

 

彼女は件の生物学的変容から抜け出ることが

不可能となってしまうからである。

 

それどころか、

 

今度は貴方が鬼へと変容してしまうかも

知れないのである。

 

では、私はどうなのだろうか。

 

勿論、私も彼女についての一切を

忘れることにする。

 

そう、

彼女に食われることによって。

 

本文に於ける乱筆は御容赦願いたい。

 

また、戦後の生活難の中で、

 

食い繋ぐために冒険小説紛いの

駄文を書き散らしていたので、

 

部分によっては

小説めいているかも知れない。

 

だが、

 

この「ヒサユキ」そのものに関しては、

全て真実である。

 

(終)

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