五つ角 2/2

 

急に雨脚が強まった。

 

雲が厚くなったのか、

辺りは少し暗くなっていた。

 

ばたばたばた、

 

と雨粒が音を立てて

傘を揺する。

 

私は地蔵橋の下の水位を思い出した。

 

まだまだ大丈夫だろうが、

早めに帰った方がいいかもしれない。

 

そんなことをふと思う。

 

服の上からでも分かる

ひやりと冷たい手が、

 

私の肩を掴んだ。

 

あまりの冷たさに、

びっくりしながら横を見ると、

 

くらげが人差し指でゆっくりと、

ある方向を指し示した。

 

つられるようにそちらを見る。

 

軽く息を呑みこむ。

 

土砂降りのカーテンの向こうに、

何かが居た。

 

ピントのずれた映像のように、

その姿はぼんやりとしていて、

 

はっきりと見ることが出来ない。

 

ただ、人だった。

 

頭があり、

二本ずつの手足がある。

 

その右手と思われる部分が、

ユラユラと上下に動いていた。

 

噂通りだ。

 

「手招きしてるね。

・・・もっと近づいてみようか?」

 

くらげが私に尋ねた。

 

私はくらげを見返した。

彼の表情はまるで読めない。

 

そろそろ門限だから。

 

これ以上、川が増水して、

橋が渡れなくなったら困るから。

 

もし噂の通りだとすれば危険だから。

 

怖いから。

 

断る理由はいくらでもあった。

 

しかし、

私は頷いた。

 

二人でそいつの方に近づいた。

 

一歩ごとに、

 

今まではぼんやりとしていた輪郭が、

少しずつではあるが鮮明になってくる。

 

やはり人間だった。

 

ぶくぶくと太った人間。

 

背が高い。

 

正直、

男か女かは分からなかった。

 

手招きしている。

 

その手の届く三~四歩前で、

私は止まった。

 

横でくらげが何か呟いたが、

雨の音で聞こえなかった。

 

くらげは止まらなかった。

 

止める暇もなかった。

 

彼はそいつの目の前まで歩み寄った。 

 

雨の音が消えたような気がした。

 

代わりに自分の心臓の音が、

やけにはっきり聞こえた。

 

マンホールがずるずると開いて、

くらげが中に吸い込まれる。

 

一瞬そんな想像をしたが、

 

重さ数十キロはあるだろう鉄製の蓋は

ピクリとも動かなかった。

 

何も起きなかった。

 

そんな中くらげは、

 

自分の左手に持っていた傘を、

そいつの頭上に掲げた。

 

傘をさしてあげているのだ。

 

途端にくらげは雨に打たれて

水浸しになった。

 

しかし、

 

そんなことはまるでお構いなしに、

彼はそいつをじっと見つめていた。

 

それだけだった。

 

後は何も起こらなかった。

 

「ああ。それはすみません」

 

唐突にくらげが言った。

 

そうして傘を自分の頭上にさし直すと、

くるりと私の方に向き直った。

 

「帰ろう」

 

そう一言。

 

返事も待たずに彼は歩き出した。

 

私の前を通り越して、

どんどん進んで行く。

 

「・・・おい待てよ」

 

はっとした私は、

慌ててその背中を追いかけた。

 

その際、

一度振り返ったが、

 

そいつは跡形もなく消えていて、

 

あるのは雨に濡れる、

マンホールだけだった。

 

私たちは黙って歩いた。

 

頭の芯が熱くて、

心臓の音がまだ微かに聞こえていたが、

 

しばらく歩くとそれらは治まった。

 

くらげは地蔵橋まで付いて来た。

 

見送りのつもりなのだ。

 

心配していた水嵩も、

大して変わっていなかった。

 

私たちはいつもここで待ち合わせし、

いつもここでさよならする。

 

私は橋の入り口で立ち止まった。

 

くらげも同じように立ち止まったのを見て、

私は口を開いた。

 

「・・・結局、うそっぱちだったな」

 

私の自己満足の言葉に、

くらげは首を傾げた。

 

私は事前に調べていたのだ。

 

あのマンホールに落ちて死んだ人間は、

確かにいた。

 

それは、十年ほど前に、

 

下水の改修工事をしていた

作業員だった。

 

突然の雨に流され、

 

発見されたのは幾日か経った後、

数キロ先の海だった。

 

それ以来、

 

あのマンホールに落ちて

死んだ者はいない。

 

事故もない。

 

つまり噂の後半、

 

『近寄ったら下水に引きずり込まれる』

 

はデタラメなのだ。

 

だから近づけた。

 

危険じゃないと知っていたから。

 

「で。あいつ、

何て言ってたんだ?」

 

私は、くらげに気になっていたことを

聞いてみた。

 

すると彼は胸の前でしっしと、

ハエを払うような動作をした。

 

一瞬、

馬鹿にされているのかと思ったが、

 

そうではなかった。

 

「『帰れ』 だと思うよ。

 

口の動きだけだったから

分かりにくかったけど」

 

くらげはあの時、

 

あいつの口の動きをよく見るために

傘をさしてあげたのだ。

 

そしてなるほど。

 

手招きじゃなくて、

あっちへ行け、か。

 

やはり、都市伝説なんて、

ばからしいものだ。

 

可笑しくなった私が「ははは」と笑うと、

彼が不思議そうにこちらを見た。

 

雨が少し弱くなっていた。

 

空を見上げて、

明日は晴れるといいなと思う。

 

「じゃあ、また明日な」

 

私がそう言うと、

 

くらげは黙って頷き、

背を向けて山の方へと歩き出した。

 

私はふと、

 

彼の服が未だびしょ濡れ

なことに気がつく。

 

「おーい、くらげ。

風邪をひくなよ。

 

シャワーだけじゃなくて

風呂につかれよ」

 

くらげが振り返った。

 

滅多に動かない彼の眉毛が、

困った様に八の字になっている。

 

「・・・そうするよ」

 

渋々と言った声だった。

 

「風呂は嫌いなんだけどなぁ・・・。

あいつら刺すからさ」

 

そう言い残して、

彼はまた背を向け歩き出した。

 

私も帰ることにした。

 

彼とは反対方向に歩きながら、

 

体育の時間で見た

あの発疹だらけの身体を思い出し、

 

改めて思う。

 

やっぱり変わったやつだよなぁ。

 

そして私はまた笑った。

 

(終)

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