異界 4/4

僕の中の糸が切れた。

いや、繋がったのかもしれない。

 

僕は起き上がり、

その場から逃げた。

 

どう逃げたのかは覚えていない。

 

ただ闇雲に斜面を上った

ような気がする。

 

途中、転んだかもしれない。

悲鳴を上げたかもしれない。

 

何も覚えてない。

 

気付けば、僕は

見知った道の上に立っていた。

 

道の向こうに原付を停めた

グラウンドが見える。

 

傍らに見覚えのある、

墓場へ誘導する立て札。

 

立て札の脇には、

 

僕が好奇心をくすぐられて入った

あの細い道の入り口があった。

 

いつの間にか僕は

入口に戻って来ていたのだ。

 

息が切れていた。

 

近頃運動らしい運動も

していなかったからか、

 

身体のあちこちが痛かった。

 

見ると、気付かないうちに

手の甲に怪我までしていた。

 

しばらくの間、

僕はその場に立ち尽くしていた。

 

張り詰めていた緊張感が

爆発したツケか、

 

頭の中で余熱が暴れ回っていた。

 

これが冷めない限り、

正常な思考は出来そうもない。

 

目を瞑ると、先程見た

様々な光景がフラッシュバックした。

 

時間はどれくらい経っただろう。

陽はもう西の山の向こうに沈んでいた。

 

僕は歩きだした。

 

グラウンドの傍にある自販機で

350ミリリットルのお茶を買うと、

 

一気に飲んだ。

 

火照った身体と頭が、

それで少し冷えた気がした。

 

遠くの方で誰かが笑っている。

 

この公園にやって来た当初にも

見た若者たちが、

 

未だ桜の要らない花見を

続けているのだろう。

 

腹の中の全てを絞り出すように

大きく息を吐く。

 

もう少し日にちが経てば、

満開の桜の下、

 

公園はたくさんの花見客で

賑わうことになる。

 

それは毎年繰り返される

当たり前の光景だ。

 

けれども、

 

そんな賑やかな場所から

林のカーテンを一つ隔てた先には、

 

全く別の世界がある。

 

僕は今日、

それを知ってしまった。

 

思う。

 

あの男はホームレスだろう。

 

そして、

 

テントの中で吊るされていた

あの犬は食料だ。

 

最後に聞いた男の言葉が

それを物語っていた。

 

頸動脈を切られ、

吊るされて、

 

血抜きをされていたのだ。

 

犬を食べる。

聞いたことはあった。

 

タイや韓国など

アジアを中心とした国では、

 

市場の店先に普通に

犬の肉が置かれていることもあると。

 

捌き方や調理法さえ知っていれば、

 

日本の犬だって

食べれないことはないだろう。

 

ましてや調達の手間を考えても、

 

観光客から餌をもらうのに慣れた犬など

捕獲し殺すのは簡単だ。

 

野良犬ならば、

 

動物愛護団体にでも見つからない限り、

法的に罰せられることもない。

 

別にあのホームレスが

何かをしたわけではない。

 

魚を釣って料理していたのと同じだ。

 

生きるために他の動物を

食べることを止める権利など、

 

誰も持っていない。

 

ふと、目の前を

犬を連れた女の人が通り過ぎた。

 

散歩が終わり、

愛犬と自宅に戻るのだろう。

 

首輪に繋がれた小さな犬が、

僕に向かって一つ吠えた。

 

血の匂いでも嗅ぎ取ったのか。

 

犬だけを特別扱いする理由はない。

その理屈は分かる。

 

でもやはり、

もやもやとした何かは残った。

 

嫌悪感と言っても良い。

 

僕でなくても

大抵の人はそうだろう。

 

僕の家では

犬は飼ってはいなかったけれど、

 

祖母の家が飼っていた。

 

可愛い犬だった。

 

あの男だってそうだ。

 

男は『自分の犬は食わない』

と、そう言ったのだ。

 

ペットとして飼っていたのだろうか。

餌はどうしていたのだろう。

 

鳥籠の中にあった骨を思い出した。

自分が食べた後の犬の骨。

 

そこまで考えて、止めた。

 

人に飼われる犬。

人に喰われる犬。

 

犬を喰う人。

犬を飼う人。

 

遠いようで、それらを隔てる壁は

案外薄いのかもしれない。

 

少なくともこの場では、

 

その隔たりは

閑散とした林だけだった。

 

それとも、

二つは完全に分かれていて、

 

僕が迷い込んだことが

ただの例外だったのだろうか。

 

異界。

 

そんな言葉が思い浮かんだ。

大げさだと自分でも思う。

 

僕は首を振って、

重い腰を上げた。

 

帰ろう。

 

そう思った。

 

これから何をしよう

という気はなかった。

 

夕飯の買い物に行く気にも

ならなかった。

 

公園に野良犬が多いと

保健所に苦情を言う気も、

 

ホームレスをどうにかしてくれと

役所に頼む気も。

 

声が聞こえる。

 

もう暗いのに、若者たちは

まだ騒ぎ足りないようだった。

 

原付に跨り、

エンジンをかける。

 

それでも、今年は

ここでの花見には来れそうもない。

 

走り出す直前に、ふと

犬の鳴き声が聞こえた気がした。

 

けれどもエンジン音のせいで、

 

それが本物かどうかは

僕には分からなかった。

 

(終)

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