川の澱みに浮かんでいた黒っぽいもの
これは、爺ちゃんの葬式の時に聞いた話。
山村で生まれ育った爺ちゃんがまだ少年だった頃、テツという犬を育てていた。
朝と夕方にテツと散歩をするのが爺ちゃんの日課だったが、長雨の後、数日ぶりに散歩へ行くとおかしな物を見つけた。
どうやら、川の澱みに何か『黒っぽいもの』が浮かんでいたそうだ。
※澱み(よどみ)
水が流れずにたまっていること。また、その所。
勇敢なテツ
爺ちゃんは「土左衛門か?」と思ってそれへ駆け寄ろうとしたら、テツが唸り声を上げて近寄ろうとしない。
仕方なくテツをそのままにしてその物に駆け寄ると、それがのろのろと立ち上がった。
それが何だったのかは爺ちゃんにも分からなかったらしい。
肌は白いような灰色のような感じで、着ている着物のような物は汚れて泥まみれ。
黒い空洞のような目と口をしていて、右腕は枯れ木のように細いのに、左腕はがっしりしていたそうだ。
それが「あー・・・」という呻き声を上げながら、少しずつ爺ちゃんに近寄ってきた。
爺ちゃんは身が竦んで動けず、それがちょっとずつ近づいてくるのを見ていることしか出来なかったが、もうちょっとでそいつの手が届くというところで、いつの間にかやって来ていたテツが飛びかかってそいつの腕に噛み付いた。
そいつは「あー・・・」と同じ呻き声を上げながらテツを払いのけようとしていたが、テツも必死で噛み付いているので引き離せない。
やがてテツとそいつはバランスを崩して川へ落ち、流されていってしまった。
爺ちゃんはまだしばらく動けなかったが、ハッと気が付いて「テツ!」と名前を呼びながら下流の方へと走っていった。
すると、300メートルくらい先の川べりに、テツの死体が流されていたそうだ。
何かで突き刺したのか、胴体に刺し傷が何箇所か残っていた。
そいつがいないのを確認した後、爺ちゃんはテツの死体を担いで村へ戻り、起こった事を村の人に話した。
そして、「山の悪いモンが雨で川に流れて、澱みに溜まって形を作ったんだろう」と爺ちゃんの爺ちゃんが教えてくれた。
その澱みはすぐに村の人間によって埋め立てられて、そいつの姿を再び見ることはなかったという。
事があった次の日、子供の頃から可愛がっていたテツを亡くしてショックを受け、家に篭っていた爺ちゃんの許(もと)へ近所に住む女の子がやってきた。
その女の子は「大の男がいつまでメソメソしとるんや!みっともない!」と言って、爺ちゃんを張り倒したそうだ。
まあ、その女の子が俺の婆ちゃんになるのだが。
(終)