さぁちゃんからの葉書 2/2
葉書を見た後、彼らはうわーとかギャーとか言いながら一目散に駆け出しました。
神社の敷地の外まで一気に走り出ると、「さぁちゃんが来てない!」とりゅうちゃんが叫びました。
二人が後ろを振り返ると、さぁちゃんがお賽銭箱の前にうずくまっているのが見えました。
「さぁちゃん!早く!帰ろう!」
「何してるんだよう!さぁちゃん、こっち来いよ!」
夜中だということも忘れて、二人は大きな声でさぁちゃんを呼びましたが、さぁちゃんはうずくまったまま動きません。
りゅうちゃんは泣いていたそうです。
彼は、「自分も泣いていたかもしれないけど分からない」と言っていました。
二人はまたお賽銭箱へ引き返し、さぁちゃんに走り寄りました。
さぁちゃんは絵葉書を片手に掴んだまま、ゲェゲェと何かを吐くような音を出していました。
「さぁちゃん!行こうよ!」
りゅうちゃんは泣きながらさぁちゃんの腕を引っ張りましたが、さぁちゃんは地面に膝を付いてゲェゲェと言っているだけで動きません。
「さぁちゃん、薬は?シューッてするやつ、どこ?」
彼はさぁちゃんが喘息の発作を起こしているのだと思い、さぁちゃんの顔を覗き込んで尋ねました。
しかし、さぁちゃんは何も言わず、しまいに「うぐううう、うぐううう」と唸り、苦しげに地面を掻き毟り始めたのです。
「父ちゃん呼んで来る!」
りゅうちゃんはそう言って、神社を駆け出して行きました。
彼はその時、神社に取り残されることよりも、葉書よりも、ただ大人たちに怒られることが怖かったのだそうです。
彼はさぁちゃんの背中をさすりながら、「大丈夫?大丈夫?」と繰り返すしか出来ませんでした。
すると突然、さぁちゃんが彼の腕をギュッと掴みました。
そして彼の方に顔を近づけて、「びょうおん」と言ったのだそうです。
正確には覚えていないけれど、そんな音だったようです。
彼は、その時のさぁちゃんの顔が忘れられないと言います。
さぁちゃんは白目を剥いて、口の端からよだれを垂らし、反響しているような低い声で、その不思議な言葉を言ったのだそうです。
彼は叫ぶことさえ出来ずに固まってしまいました。
「夜中にそんなことするからだ!泣くなバカ!」
大人の怒鳴り声がしてハッと我に返ると、大泣きしているりゅうちゃんを連れて、大人たちが敷地に入って来るところでした。
さぁちゃんはまたうずくまって、ゲェゲェと吐いていました。
さぁちゃんはりゅうちゃんのお父さんに抱えられて、後の二人は泣きながら大人たちに付いて帰ったそうです。
りゅうちゃんと彼は、次の日こっぴどく叱られたそうです。
説教が済んだ後、彼は「あの絵葉書は何?どうなったの?」と訊いても答えはなく、さぁちゃんのことを訊いても「病気でしばらくは遊べない」と言うだけで、詳しいことは聞けなかったのだそうです。
その後、夏休みが終わって彼は家に帰ることになりました。
見送りの日。
りゅうちゃんは「来年もまた来いよ」と言いましたが、実際にはそれがりゅうちゃんと会った最後になりました。
彼は次の年から田舎に行くのをやめてしまったのだそうです。
「そんなに葉書が怖かったの?」と訊くと、彼は首を横に振りました。
彼はあの年、夏休みが終わる前に恐ろしいものを見たのだそうです。
真っ赤に塗り潰された葉書より、はるかに恐ろしいものを。
絵葉書事件の数日後、彼は一人でさぁちゃんの家を訪ねました。
彼は彼なりに、さぁちゃんが病気になったことを気に病んでいたのだそうです。
しかし、さぁちゃんの家には上げてもらえませんでした。
「さおりはもう、ひろくんたちとは遊ばないから」
玄関に出て来たさぁちゃんのお姉さんは、素っ気無くそう告げました。
さぁちゃんにはかなり年の離れたお姉さんがいて、そのお姉さんはいつも三人にとても優しかったので、彼はその冷たい対応にショックを受けたと言っていました。
おそらく、彼はそのお姉さんのことが好きだったのでしょう。
彼はそうは言いませんでしたが、そのお姉さんが彼の初恋だったのだと思います。
面会を断られた彼は、さぁちゃんの家の裏庭に回りました。
さぁちゃんの家は大きな平屋で、窓からならさぁちゃんが気付いてくれると思ったのです。
裏庭にある大きな岩の陰からさぁちゃんの部屋を覗くと、さぁちゃんは一人で布団に座っていたそうです。
「さぁちゃん」と声をかけようとして、彼はそれを飲み込みました。
さぁちゃんが突如、自分の体を掻き毟り始めたからです。
パジャマをまくって腕を掻き毟ったり、バリバリと激しく顔を掻いたり、掻いたところからは血が出ていたそうです。
彼はギョッとして、ただ外からさぁちゃんを見ていました。
「きゃははははははははは、きゃはははははははは」
さぁちゃんは突然身体を掻くのをやめて、けたたましく笑い出しました。
それは外に居てもはっきり聞こえるほど大きく、甲高い声でした。
彼は岩陰でガタガタと震えていました。
さぁちゃんは座ったまま少し顔を上げて、口を歪めるようにして笑い続けています。
さぁちゃんの笑い声を背中に聞きながら、彼は転ぶように走って祖父の家へ逃げ帰りました。
そして、生まれて初めて早く夏休みが終わればいいと願い、来年からはもう二度とこの土地には来ないと決めたのだそうです。
「目が、笑ってなかったんだよ・・・」
彼はその話をしながら、ギュッと自分の片腕を握り締めました。
彼はいつのまにかびっしょりと汗をかいていて、それなのに顔は真っ青になっていました。
その後、さぁちゃんとはもちろん、りゅうちゃんとも疎遠になってしまった為、あの肝試しの日の恐ろしい出来事も、さぁちゃんの家で見た不気味な光景も、時が経つにつれて彼は忘れてしまったそうです。
忘れたというか、思い出さなくなったというべきでしょうか。
しかし、彼が大学入学を機に上京した年の秋、彼の元に突然りゅうちゃんから電話がかかって来たのだそうです。
「さぁちゃんがいなくなった」
りゅうちゃんはそう言いました。
さぁちゃんはあの後、学校にも来なくなり、ずっと家に篭っていたそうです。
ただ、りゅうちゃんも地元の中学を卒業後、進学校に通うために県内の別の地域に下宿していた為、中学以降のさぁちゃんのことはあまりよく知らないようでした。
「急に電話なんかして悪いとは思ったんだけど、ほら、あんなこともあったしさぁ・・・。でも律子さんがお前に連絡しろって聞かないんだよ」
律子さんというのは、さぁちゃんのお姉さんです。
「なんで?俺ずっとさぁちゃんには会ってないよ?」
「知ってる。でも律子さんが、さぁちゃんはひろくんの所に行ったかもしれないって」
「知らないよ!だって・・・」
彼は最後に見た不気味なさぁちゃんの様子を口走りそうになり、慌てて口をつぐみました。
「そうだよな。でも律子さんが、さおりはひろくんが好きだったし、あの後もひろくんはいつ来るの?って夏になる度に言ってた、なんて言うから断れなくて」
握り締めた受話器が、汗でヌルヌルと滑りました。
さぁちゃんが来たらと思うと、恐ろしくて眠れなかったそうです。
しかし、さぁちゃん本人がやって来ることはありませんでした。
その電話から10日ほどして、彼が大学から帰って来ると、郵便受けに一通の葉書が届いていました。
それには子供の字で宛名と宛先、そして差出人として『○○さおりより』と書いてありました。
驚いて葉書を裏返すと、裏面は茶色く塗り潰されていました。
そして、塗り残した部分や色の薄いところから、見覚えのある絵が覗いていました。
そう、それは彼らがあの肝試しで使った、あの古い絵葉書だったのです。
彼は手にじっとり汗をかきながら、葉書を部屋に持ち帰りました。
気味が悪かったけれど、捨てたらもっと悪いことが起こる気がしたから。
その後、毎年同じ時期になると、彼の元にはさぁちゃんからの葉書が届くのです。
いつも同じように、一面茶色に塗った不気味な葉書が。
彼は私と一緒に暮らし始めた時、これでさぁちゃんの葉書から開放されると思ったそうです。
そういえば、私が学生時代の恩師や友人に転居の連絡をしていても、彼がそんな連絡をしているのは見たことがありませんでした。
彼はさぁちゃんがどこかで見ているかもしれないと思ったから、郵便受けに名前を出すのを拒んだのでしょう。
でも、さぁちゃんからの葉書は届いてしまったのです。
しっかりと部屋番号まで入った宛先で、幼い子供の字体のまま、さぁちゃんは彼に葉書を送り続けているのです。
さぁちゃんは行方不明のまま、未だに見つかっていません。
最初の葉書は一体何だったのでしょうか?
さぁちゃんは神社で何を見たのでしょうか?
さぁちゃんがおかしくなったのはそのせいなんでしょうか?
「びょうおん」って一体何のことなんでしょうか?
さぁちゃんはどうして彼の住所を知っているのでしょうか?
分からないことだらけですが、たった一つだけ分かることがあります。
それは、来年も再来年もその次の年も、彼の元にはさぁちゃんからの葉書が届き続けるだろうということです。
(終)