自殺の直前に遭遇して

 

10年以上前、

 

持病の悪化が原因で入院した

病院での出来事です。

 

その病院は市内から少し離れた

山の中腹にあるのですが、

 

かなり昔から経営していたらしく、

 

所々に木造部分が残った

レトロな建物でした。

 

個人経営だったのか

規模は小さく、

 

診療科が5つくらい、

 

病棟のベッド数も全部で30くらいしか

なかった気がします。

 

ただ、

 

僕の抱えていた病気に関しては

名医がおられたそうで、

 

僕も別の大病院から紹介されて

そこに至りました。

 

ある日の深夜、

僕はふと目が覚めました。

 

時刻は3時頃だった気がします。

 

病院での怠惰な生活で

リズムが狂ってしまい、

 

睡眠も不規則になっていた

からなのでしょうが、

 

僕は特にやることも無いので、

 

煙草でも吸いに行こう

と思いました。

 

その病院の喫煙所は

病棟内の隅にあり、

 

中は2畳ほどで、

床に赤い絨毯が敷いてあります。

 

両端にイスが並び、

 

小さな蛍光灯のみの

閉鎖的な造りでした。

 

病院1階入口にある自販機で

コーヒーを買い、

 

2階に戻って普段通りに

喫煙所のドアを開けた瞬間・・・

 

『グジュッ』

 

スリッパ越しに、

不快な感触が伝わりました。

 

直感で、

 

何か水気を含んだものを

踏んだと思い、

 

慌てて足を上げたのですが、

足元には何もありません。

 

あれ?と思ったのも束の間、

強烈な異臭が鼻をつき始めました。

 

むせ返るように濃厚で、

錆びた釘を連想させる臭い。

 

とっさに血だと思いました。

 

湧き上がる恐怖に囚われながら

後ずさった瞬間、

 

足が滑ってズルリと

尻餅をつきました。

 

予想もしていなかった転倒。

 

瞬間、

 

目に入ったのは

大量の赤色。

 

スリッパの裏を染めた赤。

 

白い廊下に映える、

引きずったような赤。

 

壁に並ぶ赤い手形。

 

イスにぶちまけられた、

赤い血溜まり。

 

強烈な違和感で

恐怖の虜になった僕は、

 

慌てて逃げようと思ったのですが、

 

情けないことに

腰が抜けてしまい、

 

立ち上がれません。

 

助けを呼ぼうと思った瞬間、

 

『へへへ』

 

凍りつく身体。

 

『ふへへへ』

 

その響きだけで理解出来る、

完全に狂った声音。

 

『死のう』

 

イスの下から這い出てきた男が

言い放った言葉。

 

僕は失神しました。

 

失神する直前に焼きついた絵。

 

楽しげに見つめる狂った瞳。

 

あざけるような表情を作る、

引き攣れた笑顔。

 

そして、

直感で感じる死の臭い。

 

僕ではなく、

 

目の前にいる男に近づく

死の気配。

 

自殺なんだと思いました。

 

狂った人間の自殺に立ち会って

しまったんだと感じました。

 

なぜなら、

 

彼は自分の腕に繋がれた

点滴用のチューブを、

 

途中で切っていたからです。

 

それから目を覚まし、

看護婦に聴いた顛末はこう。

 

(この看護婦は後に

元カノとなった)

 

夜勤の看護婦が深夜の

見回りをしていたところ、

 

喫煙所前で倒れている

僕を発見。

 

周囲の様子と

外傷の無い僕を見て、

 

事態を想像し、

即通報。

 

血の跡を追った別の看護婦によって、

絶命している男性を発見。

 

男は脳神経外科に通う患者で、

 

その日は検査入院ということで

3階の病棟にいたらしいです。

 

死因は出血多量。

 

全てを納得した僕が、

 

翌日に転院したのは

言うまでもないですが、

 

問題はこの後やってきました・・・。

 

僕が心底凍りついた、

彼女(看護婦)との会話。

 

「あれはほんまに最悪やったね。

トラウマなった(笑)

 

「もう早く忘れた方がいいよ」

 

「でもあの病院たぶん潰れるで(笑)

いわくつきになったし」

 

「ほんまやね~。

私も移るわ(笑)

 

「掃除とか大変やったやろうね」

 

「絨毯もイスも全部、

新しいのに変えたらしいよ」

 

「壁とか誰が磨くんやろうね?」

 

「壁?」

 

「うん。壁の血とか手形」

 

「何それ?

そんなのなかったよ?」

 

「え?」

 

「壁は全然キレイやったよ?」

 

「あぁ、そう?

(あれ?気のせいかな?)

 

「形はどうあれ、

静かに逝かはったんちゃう?」

 

「うん・・・(静かに?)

 

「コーヒーとタバコが

キレイに並んでたもん」

 

「?」

 

「コーヒー(僕が買った銘柄)

タバコ(僕が吸っている銘柄)

 

キレイに空になってたから、

 

しはる前に一服しはったん

やろうね」

 

※しはる=する

※しはった=した

 

再び凍りついた事実。

 

倒れた僕から

コーヒーとタバコを取り、

 

一服していたこと。

 

そして残された違和感。

 

僕の記憶にはしっかりと

焼きついています。

 

壁に並んだ無数の赤い手形が。

 

(終)

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