怪物 「結」-下巻 3/5

夜道

 

「4人もいたら、

 

なにか良い知恵が浮かんで

きそうなものなのにね」

 

おばさんが溜息をつく。

 

キャップ女が鼻で笑うように、

 

「4人だって?5人だろ」

と指をさした。

 

みんながそちらを見る。

 

大きな銀杏の木がひとつだけ、

街灯のそばに立っている。

 

その木の幹の裏に隠れるように、

白い小さな顔がこちらを覗いていた。

 

私はそれが生きている人間に思えなくて、

髪の毛が逆立つようなショックがあった。

 

けれど、

 

その顔が驚きの表情を浮かべ、

恥ずかしそうに木の裏に隠れたのを見て、

 

おや?と思う。

 

「え?あら。女の子?」

 

おばさんが甲高い声を上げる。

 

「お、おいおい。いつからいたんだ。

全然気づかなかったぞ」

 

と眼鏡の男が呟いて、

額の汗をハンカチで拭う。

 

「ねぇ、あなた近所の子?

 

こんな遅くに外に出て、

だめじゃないの」

 

おばさんが優しい声で呼び掛けると、

顔を半分だけ出した。

 

10歳くらいだろうか。

 

「あら、この子、

外人さんの子どもかしら」

 

言われて良く見ると、

眼球が青く光っている。

 

街灯の光の加減ではないようだ。

 

「帰った方がいい。

ここは危ない」

 

眼鏡の男が早口でそう言い、

近寄ろうとする。

 

女の子はまた木の裏側に隠れた。

 

男が腕を前に伸ばしながら

回り込もうとする。

 

すると、

 

その子はその動きに沿って

ぐるぐると反対側に回る。

 

「あれ、なんだこいつ。

なに逃げてんだよ、おい」

 

眼鏡の男が苛立った声を上げるのを、

 

ブランコに揺られながら

キャップ女がせせら笑う。

 

「あんたロリコン?」

 

「うるさい」

 

「ちょっと、やめなさいよ。

怯えてるじゃないの」

 

おばさんが男をなだめる。

 

「大したものだな、この子。

 

この歳で、あたしたちと

同じモノ見てるんだよ」

 

キャップ女の口の端が上る。

 

そんなバカな。

 

こんな小さな子どもが私と同じことを考えて、

ここまでやって来たというのだろうか。

 

そう思った時、

私の耳がある異変を捉えた。

 

「し」

 

と誰かが短く言う。

 

息を呑む私たちの耳に、

鳥の鳴き声のようなものが聞こえて来た。

 

ギャアギャアギャア・・・

 

カラスだ。

 

私はとっさにそう思った。

 

公園の中じゃない。

 

全員が身構える。

 

鳴き声は次第に小さくなり、

やがて聞こえなくなった。

 

ブランコが錆びた音を立てて、

キャップ女が降りて来る。

 

「なんて言ったと思う?」

 

誰にともなく、そう問い掛ける。

 

「警戒せよ、だ」

 

彼女は私の顔を見て、

そう言った。

 

なぜかデジャヴのようなものを感じた。

 

足音を殺して、

全員が公園の出口に向かう。

 

行動に転じるのが早い。

 

躊躇わない。

 

私も深呼吸をしてから、

それに続く。

 

公園の敷地を出てからすぐに、

 

アスファルトを擦る靴の音が

やけに大きく響くことに気づく。

 

眼鏡の男の革靴だ。

 

みんな足音を殺しているのに。

 

複数の睨むような視線に

気づきもしない様子で、

 

彼は先頭を切って公園に面した道路を

右方向へと進む。

 

月の光に照らされる誰もいない夜の道を、

5つの影が走り抜ける。

 

5つ?

 

振り向くと、

 

小さな少女が厚手の服を

ヒラヒラさせながら、

 

少し離れて付いて来ている。

 

青い眼が、月光に濡れたように、

妖しく輝いて見える。

 

あれも肉体を持った人間なのだろうか。

 

なんだかこの夜の街では、

すべてが戯画のように思える。

 

※戯画(ぎが)

おかしみのある絵、または面白く書かれた絵のこと。

 

そして、

 

これからなにかもっと恐ろしいものを

見てしまうような気がして、

 

足を止めたくなる。

 

それは、

 

昼と地続きの夜を生きる人には

決して見えないもの。

 

引き抜かれた道路標識などとはまた違う、

 

自分の中の良識の一部を

確実に訂正しなくてはならないような、

 

そんなものを。

 

私はいつのまにか、

 

現実と瓜二つの異界に

紛れ込んでいるのではないだろうか。

 

慎重に足を動かしながら、

そんなことを考える。

 

細長い緑地が住宅地の区画を分けていて、

 

その一段高い舗装レンガの歩道の上に、

大きな木が枝を四方に張っていた。

 

生い茂る葉が月を覆い隠し、

 

その真下に出来た闇に紛れるように、

小動物の蠢く影が見えた。

 

立ち止まる私たちの目の前で、

 

ギャアギャアという不快な声を上げ、

その影がふたつ飛び立った。

 

カラスだ。

 

2羽は鈍重な翼を振り乱して、

あっというまに夜の空へ消えて行く。

 

私たちは息を潜めて、

カラスたちがいた場所を覗き込む。

 

暗がりにそれはいる。

 

ああ。

 

やはりこちらが夢なのかも知れない。

 

私の知っている世界では、

こんなことは起きない。

 

「エエエエエエエ・・・」

 

弱弱しい声を搾り出すようにして、

身を捩(よ)じらせる。

 

それはまるで、

 

巣から落ちてしまった

カラスの雛のように見えた。

 

さっきの2羽が、

心配して覗き込んでいた両親だろう。

 

けれど、

あの悲鳴のような鳴き声は、

 

我が子を案じる親のそれではなかった。

 

警戒せよ。

警戒せよ。

 

この異物を警戒せよ。

 

そう言っていたような気がする。

 

「エエエエエエエ・・・」

 

そんな力ない呻きが、

 

ありえないほど小さな人間の

顔から漏れる。

 

赤ん坊のようなその顔の下には、

 

薄汚れた羽毛に包まれた、

カラスの雛の胴体がくっ付いている。

 

それは、

 

生きていること自体が耐えられない

苦痛であるかのように、

 

小さな身体をくねらせて、

レンガの上を這いずっている。

 

それを見下ろしている誰もが息を呑み、

動けないでいた。

 

掠れながら呻き声は続く。

 

私の知るそれより、

遥かに小さい赤ん坊の顔は、

 

閉じられた目から涙を流しながら、

クシャクシャと歪んで小刻みに震えている。

 

やがてその呻き声が少しずつ変調し、

 

聞こえる部分と聞こえない部分が

生まれ始める。

 

「こ、これは、おい、

なんだ、これは・・・」

 

眼鏡の男が口を押さえて震えている。

 

「黙りなさい」

 

その隣でおばさんが短く、

しかし強い口調で言う。

 

風が吹いて、

頭上の葉がざわめいた。

 

声が聞こえなくなり、

私たちは自然と顔を近づける。

 

「・・・・・か・・・・・い・・・・・に・・・・・」

 

赤ん坊の頭部を持つそれは、

呻きながら同じ言葉を繰り返し始めた。

 

なんと言っている?

 

耳を澄ますけれど、

 

目に見えない誰かの手が、

その耳を塞ごうとしている。

 

いや、その手は、

 

私の中の危険を察知する敏感な部分から

伸びているのかも知れない。

 

でも、もう遅い。

 

聞こえる。

 

か・わ・い・そ・う・に

 

そう言っているのが聞こえる。

 

涙を流し、

苦痛に身を悶えさせながら、

 

それは「かわいそうに、かわいそうに」

という言葉を繰り返しているのだ。

 

「くだん、だ」

 

眼鏡の男が呆然として呟いた。

 

くだん?

 

くだんというのは確か、

人の顔と牛の身体を持つ化け物のことだ。

 

生まれてすぐに災いに関する予言を

残して死んでしまう、

 

という話を聞いたことがある。

 

人の頭部と動物の胴体を持っている

部分だけしか合っていない。

 

そう言えば最近、

 

身体が2種類以上の動物で構成された

化け物のことを考えたことがあるな。

 

あれはなんのことだったか。

 

遥か昔のことのように思える。

 

そうだ。

 

あれは間崎京子の謎掛けだ。

 

共通点はなに?

化け物を生んだのは誰?

 

思考がぐるぐると回る。

 

「なにか来る!」

 

キャップ女の鋭い声に振り向くと、

 

黒い塊がこちらに向かって

飛び込んで来た。

 

一番後ろで屈んでいた青い眼の少女が、

 

弾けるようにそれを避け、

勢い余って尻餅をつく。

 

私を含む他の4人も、

 

瞬時に身体を反転させて、

その体当たりから身をかわす。

 

黒い塊は荒い息遣いを撒き散らしながら

歯茎を見せて、

 

私たちを威嚇するように唸り声を上げる。

 

犬だ。

 

首輪もしていない。

 

野犬だ。

 

目は血走って、

焦点が合っていないように見える。

 

地面に手をついていた私は、

すぐに立ち上がり犬から離れる。

 

他の人たちも、

後ずさりしながら木の下から遠ざかる。

 

おばさんが、

 

尻餅をついたまま動けないでいる

少女を抱き起こしながら、

 

慌てて逃げ出す。

 

犬は離れていく人間には興味を示さずに、

 

舌を垂らしながら木の根元の暗がりへ

首を伸ばした。

 

そして、ぐるるるる、という唸り声と、

 

肉が咀嚼される気持ちの悪い音が

聞こえて来る。

 

「く、喰ってる」

 

10メートル以上離れた場所から、

腰の引けた状態の眼鏡の男が絶句する。

 

もう、その木の下からは、

人の声は聞こえない。

 

ただ、肉と骨が噛み砕かれる音だけが、

夜陰に篭ったように響いているだけだ。

 

私はどうしようもなく気分が悪くなり、

 

そちらを正視できないほどの悪寒に

全身が震え始めた。

 

遠巻きにそれを眺めることしか

出来ない私たちが、

 

動きを止めているその前で、

 

徐々に犬の立てる物音が小さくなり、

やがて湿り気のある呼吸音だけになる。

 

空腹を収めることが出来たのか、

 

犬は始めとは全く違う緩慢な動きで

舌を這わせ、

 

口の周りを舐め始める。

 

見えた訳ではない。

 

犬は向こうを向いたままだ。

 

ただ、そういうイメージを抱かせる音が、

ピチャピチャと聞こえている。

 

そして、

 

ひとしきり肉食の余韻を味わった後、

犬は一声鳴いて、

 

木の幹を回り込むようにして

闇に消えていった。

 

その最後に鳴いた声は

気味の悪い声色で、

 

耳にこびり付いたように、

いつまでも離れない。

 

かわいそうに。

 

と、私の耳には確かにそう聞こえた。

 

犬の影が見えなくなると、

住宅街の中の緑地は静けさを取り戻す。

 

「なんだったの」

 

おばさんが少女の手を取ったまま

声を絞り出し、

 

眼鏡の男が恐る恐る、

木の根元に近づいていく。

 

「喰われてる」

 

そんな言葉に私も首を伸ばすが、

 

そこには黒い血の染みと、

散らばった羽毛しか残ってはいなかった。

 

「畸形、だったのか?」

 

※畸形(きけい)

生物体で、遺伝または発生途中の発育不全によって起きる形態的・機能的異常のうち、個体変異の範囲を超えるもの。

 

自問するように眼鏡の男が口走る。

 

それを受けてキャップ女が、

「なわけないだろ」と嘲(あざけ)る。

 

私もそう思う。

 

畸形だろうがなんだろうが、

 

自然界があんな冒涜的な存在を

許すとは思えなかった。

 

※冒涜(ぼうとく)

神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと。

 

ならば・・・

 

「幻覚?」

 

私の言葉に全員の視線が集まる。

 

(続く)怪物 「結」-下巻 4/5

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