求人広告を見た者ですが 2/2
やがて、電車が轟音を立ててホームに滑り込んで来て、ドアが開いた。
乗り降りする人々を見ながら、私はようやく腰を上げた。
腰痛が酷い。
ふらふらと乗降口に向かう。
体中が痛む。
(あの電車に乗れば…)
そして乗降口に手を掛けた時、車中から鬼のような顔をした老婆が突進してきた。
どしん!
私は吹っ飛ばされ、ホームに転がった。
老婆もよろけたが、再度襲ってきた。
私は老婆と取っ組み合いの喧嘩を始めた。
悲しいかな、相手は老婆なのに私の手には力がなかった。
「やめろ!やめてくれ!俺はあの電車に乗らないといけないんだ!」
「なぜじゃ!?なぜじゃ!?」
老婆は私にまたがり顔を鷲掴みにして、地面に抑え付けながらそう聞いてきた。
「りょ…旅館に行けなくなってしまう!」
やがて駅員たちが駆けつけ、私たちは引き離された。
電車は行ってしまっていた。
私は立ち上がることも出来ず、人だかりの中心で座り込んでいた。
しばらくして、老婆が息を整えながら言った。
「おぬしは引かれておる。危なかった」
そして老婆は去って行った。
私は駅員と少し応答をしたが、すぐに帰された。
駅を出て、仕方なく家に戻る。
すると、体の調子が良くなってきた。
呼吸も戻ってきた。
鏡を見ると、血色が良い。
不思議に思いながらも家に帰った。
荷物を下ろし、タバコを吸う。
落ち着いてから、やはりバイトを断わろうと旅館の電話番号を押した。
すると、無感情な軽い声が帰ってきた。
『この電話番号は現在使われておりません』
押し直してみる。
『この電話番号は現在使われておりません』
私は混乱した。
まさにこの番号で今朝電話が掛かってきたはずだ。
(おかしい…おかしい…おかしい…)
通話記録を取っていたのを思い出した。
最初まで巻き戻す。
キュルキュルキュル、ガチャ。
再生。
『ザ…ザザ……はい。ありがとうございます。〇〇旅館です』
(あれ?)
私は悪寒を感じた。
若い女性だったはずなのに、声がまるで低い男性のような声になっている。
「あ、すみません。求人広告を見た者ですが、まだ募集していますでしょうか?」
『え、少々お待ち下さい。……ザ…ザ…ザザ……い、……そう……だ………』
(ん?)
私はそこで、何が話し合われているのか聞こえた。
巻き戻して音声を大きくする。
『え、少々お待ち下さい。……ザ…ザ…ザザ……い、……そう……だ………』
巻き戻す。
『……ザ……ザ……ザザ……むい………こご…そう………だ………』
巻き戻す。
『さむい…こごえそうだ』
子供の声が入っている。
さらにその後ろで、大勢の人間が唸っている声が聞こえる。
(うわぁ!!)
私は汗が滴った。
電話から離れる。
すると、通話記録がそのまま流れる。
『あー、ありがとうございます。こちらこそお願いしたいです。いつから来れますか?』
「いつでも私は構いません」
記憶にある会話。
しかし、私は中年のおじさんと話をしていたはずだ。
そこから流れる声は、地面の下から響くような老人の声だった。
『神尾くんね。早くいらっしゃい』
そこで通話が途切れる。
私の体中に冷や汗が流れ落ちる。
外は土砂降りの雨である。
金縛りにあったように動けなかったが、私はようやく落ち着いてきた。
すると、そのまま次の通話記録が流れる。
今朝、かかってきた分だ。
しかし、話し声は私のものだけだった。
『死ね死ね死ね死ね死ね』
「はい。今準備して出るところです」
『死ね死ね死ね死ね死ね』
「あ、すみません。寝起きなので」
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
「あ、大丈夫です。でも、ありがとうございます」
私は、電話の電源コードごと引き抜いた。
渇いた喉を鳴らす。
(な…何だ…何だこれ…。何だよ!?どうなってんだ?)
私はその時、手に求人雑誌を握っていた。
震えながらあのページを探す。
すると、何かおかしい。
(……ん?)
手が震える。
そのページはあった。
だが、求人雑誌は綺麗なはずなのに、その旅館の1ページだけがしわくちゃで、何かシミのようなものが大きく広がり、少し端が焦げている。
どう見ても、そのページだけが古い紙質だった。
まるで、数十年前の古雑誌のように。
そしてそこには、全焼して燃え落ちた旅館の写真が掲載されていた。
記事も書いてあった。
【 死者30数名。台所から出火した模様。旅館の主人と思われる焼死体が台所で見つかったことから、料理の際に炎を出したと思われる。泊まりに来ていた宿泊客たちが、逃げ遅れて炎にまかれて焼死 】
(これ…何だ?求人じゃない…)
私は、声も出せずにいた。
求人雑誌が風でめくれている。
私は痺れた頭で石のように動けなかった。
その時ふいに、雨足が弱くなった。
一瞬の静寂が私を包んだ。
電話が鳴っている。
(終)