廃墟だと思っていた場所

押入れの奥にひな壇状の仏壇

 

今から10年以上前、小学5年生のときの話です。

 

当時、僕のクラスでは、廃墟を探検してその結果を報告し合う『廃墟巡り遊び』なるものが流行っていました。

 

毎週月曜日は、土日の間にどんな廃墟に行ったか、どんな体験をしたか、何を見つけたか、という話題で持ちきりでした。

 

廃病院からカルテを持ち帰ると、その日の夜にしわがれた男の声で「カルテを返せ」と電話がかかってくる、という噂で名高い廃病院や、一家全員が惨殺されたという通称「皆殺しの館」(今はもう焼失)、死体埋めスポットとして有名な▲▲山の幽霊トンネルなど、僕自身も友人と一緒に数々の廃墟や心霊スポットを巡りました。

 

しかし、そのほとんどは満足のいくような代物ではなく、大した発見も出来事もありませんでした。

 

そんなある日、友人のショウタ(仮名)「駅の近くに、とびっきりの廃墟を見つけた!」と僕に言ってきたのです。

 

すでに地元近辺の廃墟はほとんど行き尽くした感があり、そんな身近に廃墟があるなど思いもしなかった僕は、学校が終わった後、他に友人2人も誘い、4人で探検することにしました。

 

そしてショウタに連れられて、僕たちはその廃墟に向かいました。

 

駅前の細い路地をずんずん進み、地蔵が置かれた四つ角を右に曲がり、さらに蛇行した林道を進むと、鬱蒼と茂る草木に囲まれて、その廃墟はありました。

 

それは古びた2階建ての一軒家で、不気味にひっそりと佇んでいました。

 

僕は「こんな近くに、こんな素敵な廃墟があったんだ」と若干感動していましたが、ショウタ以外の2人は、そのビジュアルに圧倒され、「やっぱり帰ろう」とまで言い出すほど怖気づいている様子でした。

 

そうして私とショウタで、半ば無理やり2人を引き連れ、中へ入りました。

 

中は予想どおり、床は抜けかけ、蜘蛛の巣だらけの状態で、日本人形やロウソク、漢字だらけの紙など、色々なものが散乱していました。

 

僕としては、かなり見ごたえのある景観でした。

 

最初は怖気づいていた2人も、徐々にいつもの調子を取り戻しつつあり、4人でふざけ合いながら襖などを開けまくっていると、押入れの中に“階段”を見つけたのです。

 

そういえば2階建てなのに階段がない……もしかして、ここから2階へ行くのか?

 

僕たちはワクワクしながら、その階段を上っていきました。

 

2階もほとんど1階と変わりありませんでしたが、一番奥に、“やけに襖の新しい部屋”がありました。

 

中に入ると、他の部屋は荒れ放題で汚れ放題なのに対し、その部屋だけはきちんと片付けられていて、というより何もなく、畳もまだ綺麗な緑色をしており、とにかくとても不自然な部屋でした。

 

そして、なぜかほのかに線香の匂いがするのです。

 

友人の1人が「ここから匂いするで!」と押入れを指さしました。

 

さすがに僕も嫌な予感がしましたが、思い切って、4人でその押入れの襖を開けることにしました。

 

中を見た僕たちは、驚愕しました。

 

押入れの中には、大きなひな壇状の仏壇があり、新鮮な果物や野菜、買ったばかりと思われる絵本などが供えられていました。

 

そして最上段には、おかっぱ頭の少女の遺影が飾られ、両端には今さっき火をつけたであろう線香が煙を上げていたのです。

 

僕はそのとき、生まれて初めて腰を抜かしました。

 

「腰を抜かす」という言葉は知っていましたが、まさか本当に自分が腰を抜かして動けなくなるとは、夢にも思いませんでした。

 

友人2人は真っ先に僕を置いてその廃墟から逃げ出し、ショウタは呆然と遺影を見つめながら失禁していました。

 

その後、何とか僕とショウタはその廃墟から脱出しましたが、今でもそのときのことを思い出すと鳥肌が立ち、気分が悪くなります。

 

ちなみに、その廃墟は今も同じ場所に存在しています。

 

いまだに誰かが、あの女の子を供養しに行っているのでしょうか……。

 

それ以来、僕は廃墟に出向くことはなくなりました。

 

(終)

AIによる概要

この話が伝えたいことは、「面白半分で踏み込んだ先には、本当に触れてはいけないものがあるかもしれない」ということだと思います。

語り手たちは、廃墟をスリルを楽しむ遊び場として見ていました。怖い噂や心霊スポットを面白がり、探検しては話のネタにする。しかし、その家で見たのは幽霊ではなく、今も誰かが大切に供養している痕跡でした。線香の煙が上がり、新しい供え物が置かれているということは、その場所が「終わった場所」ではないという証です。そこには、今も続いている誰かの悲しみや想いがある。

つまりこの話は、「怖い体験をした」というよりも、「他人の悲しみに土足で踏み込んでしまった」という体験なのです。廃墟だと思っていた場所が、実は誰かにとっては大切な祈りの場だった。その事実に気づいた瞬間、遊びは遊びではなくなります。

だからこそ、本当の恐怖は幽霊ではなく、「ここにまだ誰かが来ている」という現実にあります。そしてその出来事をきっかけに、語り手は廃墟巡りをやめる。怖かったからというより、自分たちがしていたことの重さに気づいたからではないか、という余韻が残ります。

この話は、好奇心やスリルを求める気持ちの裏側にある危うさと、見えない誰かの想いへの配慮を、静かに伝えているのだと思います。

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