黒い手 3/4

左手

 

僕はマネキンの手を放り出して

パソコンを立ち上げた。

 

今頃あのスレッドでは、

担がれた僕を笑っているだろうか。

 

ムカムカしながら

スレッド名をクリックすると、

 

予想外にも黒い手の話は

全然出てきてなかった。

 

すでに彼らの興味は次の噂に移っていた。

 

音響はなんと言っているだろう

と思って探しても、

 

書き込みはない。

 

過去ログを見ても、

あれから一度も書き込んでないようだ。

 

逃げたのかとも思ったが、

なにも彼女に逃げる理由はない。

 

俺に追及されても、『バーカバーカ』

とでも書けばいいだけのことだ。

 

それに、

 

もともと音響は常連の中でも

出現頻度が高くない。

 

週に1回か、多くても2回程度の

書き込みペースなのだ。

 

あれから4日しか経っていないので、

 

現れてなくても当然といえば

当然なのだった。

 

ふいにマウスを持つ手が固まった。

 

週に1回か2回の書き込み。

 

心臓がドキドキしてきた。

 

去っていった恐怖が

もう一度戻って来るような、

 

そんな悪寒がする。

 

気のせいか、

耳鳴りがするような錯覚さえある。

 

過去ログをめくる。

 

『黒い手を手に入れた』日曜日。

 

僕が目に留めた音響の書き込みだ。

 

そして、

その次の音響の書き込みは・・・

 

『いーよ』金曜日。

 

5日、開いている。

 

ちょうどそんなペースなのだ。

 

だから、おかしい。

 

その翌日の土曜日に、

音響は黒い手を僕にくれた。

 

だから、おかしい。

 

音響が黒い手を手に入れてから、

その土曜日で6日目なのだ。

 

黒い手に出会えたら願いが叶う。

 

そのためには黒い手を1週間、

持っていないといけない。

 

たとえどんなことがあっても。

 

信じてないなら持っていてもいいはずだ。

 

あと、たった1日なんだから。

 

それでなにも起きなければ、

 

『やっぱあれ、ただの噂だった』

 

と言えるのだから。

 

信じているなら、

持っていなければならないはずだ。

 

あと、たった1日なんだから。

 

それで願いが叶うなら。

 

どうして、あとたったの1日、

持っていられなかったんだろう。

 

頭の中に、

 

箱を持った僕をファミレスのガラス越しに

じっと見ていた音響の姿が浮かぶ。

 

当時、

 

そんなジャンルの存在すら知らなかった

ゴシックロリータ調の格好で、

 

確かにこっちを見ていた。

 

その人形のような顔が不安げに。

 

ただのマネキンの腕なのに。

 

僕は知らず知らずのうちに触っていた

右頬にギクリとする。

 

忘れそうになっていたが、

さっきの冷たい手の感覚はなんなのだ。

 

振り返ると、

箱はテーブルの上にあった。

 

黒い手は箱の中に、

そして蓋の下に。

 

一瞬びくっとする。

 

僕はゾクゾクしながら思い出そうとする。

 

『放り出した』

 

というのはもちろんレトリックで、

適当に置いたというのが正しいのだが、

 

僕は果たして、

黒い手を箱に戻したのだったか。

 

※レトリック

巧みな表現をする技法。ものは言いよう。

 

箱はぴっちりと蓋がされて、

当たり前のようにテーブルに横たわっている。

 

思い出せない。

 

無意識に蓋をしたのかも知れない。

 

でも確かなことは、僕にはもう、

あの蓋を開けられないということだ。

 

徐々に冷たさが薄れかけている

頬を撫でながら生唾を飲んだ。

 

五角形と5本の棒。

 

1本だけ太くて、

五角形の辺1つに丸々面している。

 

親指の位置が分かれば、

どっちかくらいは分かる。

 

その頬の冷たい部分は、

右手の形をしていた。

 

次の日、

つまり5日目。

 

僕は師匠の家へ向かった。

 

音響は5日目までは持っていた。

 

正確には6日目までだが、

少なくとも5日目までは持っていられた。

 

僕はこれから起こることが恐ろしかった。

 

たぶん、箱の位置が変わったり、

頬を撫でられたりといったことは、

 

文字通り、

触りに過ぎないのではないか、

 

という予感がする。

 

こんなものはあの人に押し付けるに限る。

 

師匠の下宿のドアをノックすると、

 

「開いてるよ」

 

という間の抜けた声がしたので、

 

「知ってますよ」

 

と言いながら箱を持って中に入る。

 

胡坐を組んでひげを抜いていた師匠が

こちらを振り向いた。

 

「かえせよ」

 

「え?」

 

何を言われたかよくわからなくて聞き返すと、

師匠は、

 

「俺いまなにか言ったか?」

 

と逆に聞いてくる。

 

よくわからないが、

 

とりあえず黒い手の入った箱を

師匠の前に置く。

 

なにも言わないでいると、

師匠は「はは~ん」とわざとらしく呟いた。

 

「これかぁ」

 

さすが師匠。

 

勘が鋭い。

 

しかし、

続けて予想外のことを言う。

 

「俺の彼女が『逃げろ』って言ってたんだが、

このことか」

 

その時はなんのことかわからなかったが、

 

後に知る師匠の彼女は、

異常に勘が鋭い変な人だった。

 

「で、なにこれ」

 

と言うので、

一から説明をした。

 

なにも隠さずに。

 

普通は隠すからこそ、

次の人に渡せるのだろう。

 

しかし、この人だけは、

 

隠さない方が受け取ってくれる

可能性が高いのだった。

 

ところが、

 

ここまでのことを全部話し終えると、

師匠は言った。

 

「俺、逃げていい?」

 

そして、

腰を浮かしかけた。

 

僕は焦って、

 

「ちょっと、

ちょっと待ってください」

 

と止めに入る。

 

この人にまで見捨てられたら、

僕はどうなってしまうのか。

 

「だけどさぁ、

これはやばすぎるぜ」

 

「御祓いでもなんでもして、

なんとかしてくださいよ」

 

「俺は坊さんじゃないんだから・・・」

 

(続く)黒い手 4/4

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