娘を殺した父親を裁く法律は無い
もう10年も前の事です。
「娘が帰って来ない。自殺するかも知れない」と、中年の男性から110番通報がありました。(私は警察官です)
精神的に不安定で、自殺未遂を何度もしている高校生の娘さんが帰って来ないとの事。
男性の説明は明瞭で筋が通っていて、どう考えても今すぐ保護しなければ確実に自殺するであろうと思いました。
直ちに上司に報告すると、上司も重大だと判断し、かなり大掛かりな捜索になりました。
バッジに誇りを持てなくなることがある
幸い、娘さんはすぐに見つかりました。
同級生の家に居たところを、その同級生の家族の通報で発見。
無断外泊という事で拍子抜けしましたが、こういったフライングも事件を未然に防ぐ為にはやむを得ない事です。
出動するだけに足るとの材料はありましたし、それで納得していました。
1年後に彼女が自殺したと聞くまでは・・・。
事件性は無く、精神疾患という分かりやすい背景もありました。
普通はほとんど突っ込んで調べることはないのですが、上司が「自分の担当した事件だから気になる」と言って調べ始めました。
すると、唖然とするほど酷い背景が明らかになりました。
まず、彼女の精神疾患の原因は、父親(通報した男性)の“精神的暴力”によるものでした。
何をしても徹底的に否定され、叱られ、罵倒する。
生活の全てに介入と監視を行い、自分の意に沿わない事があったら巧妙にぶち壊したり、彼女を脅迫してやめさせる。
周囲の人間には彼女の事を悪く言って、「困った娘に手を焼いている父親」を演じ、精神的暴力を正当なものと皆に思わせていた。
保護された時に一緒に居た同級生はそんな事情を知らなかったけれど、彼女の様子を見て尋常ではない様子を察し、同情して匿(かくま)っていたそうです。
結局、父親の言い分を信じた家族や教師に責め立てられて、「彼女をそそのかして家出させた」ということになり、学校をやめざるを得なくなったそうです。
ですが、私があの時に父親の人間性を見抜いていれば、最悪の結果にはならなかったでしょう。
そんな自分にこの仕事をする資格は無いと思い、上司に辞表を提出しました。
しかし、「判断したのは私だから責任を取るべきは私だ。君に責任は無いし、あったとしても辞めたぐらいで取れるような軽い責任じゃない。だから辞めようなんて絶対に思っちゃいけないよ。誰かがやらなければならない仕事だから、責任の重さを知る君がやるべきだ」と言われ、受け取ってすらもらえませんでした。
それから10年後、定年を間近に控えたかつての上司が亡くなったとの知らせが・・・。
署内での拳銃自殺でした。
知らせてくれた方の話では、「去年に妻が亡くなったからではないか」との事でした。
そして遺書の宛名の中に、なぜか私の名前があったそうです。
異動して何年も経っていて交流はありませんでしたし、一緒に仕事していた時もそれほど親しかったわけでもなかったので不思議に思いました。
遺書の内容はこれまで世話になった人への感謝と、謝罪の言葉がほとんどで、「夫としての責任は果たしました。最後に人としての責任を果たします。私一人の命で済むものではありませんが、それでも過ちは償うべきです」と結ばれていました。
現場の様子を訊くと、机の上には制服が綺麗に折り畳んで置かれていて、その脇に手帳から取り出されて二つに割られた証票(写真と氏名が書かれているあれです)と、制服からちぎり取られていた階級章とバッジが置かれていたそうです。
私には「あの事件の事だ」と、ピンときました。
奥様が亡くなり定年を迎えて、するべきことを全て終えた後に最後の責任を果たしたのでしょう。
寡黙で淡々としていて、正義感や情熱が顔に出ない方でしたが、それだけに曲げられないものがあったのだと思います。
「法律は無力だね。パン一つ盗んでも有罪に出来るのに、娘を殺したあの父親を裁く法律は無い。言ってはいけないことだけど、バッジに誇りを持てなくなることがあるよ」と、寂しそうに言っていたのが思い出されます。
(終)