優しさの形が他人とずれている

私は怖くないと思っているのだけれど、友人が「怖い怖い」と言う。
私は動物が好きだ。
でも友人は「それは違う」と言う。
特に小動物が好きで、手に伝わるふわふわした毛皮の感触が楽しい。
大学で実験用のネズミを掴んだとき、もぞもぞ動くのが可愛くて、つい撫で回していた。
すると友人が、「何やってんの?めちゃくちゃ苦しがってるじゃん!」と言って、私の手からひったくった。
なるほど……。
友人の手に移ったネズミは大人しくなった。
掴み方が悪かったのかと思って別のネズミを掴んでみたら、やっぱりじたじた動く。
楽しかったので、今度は友人に渡さずにそのまま堪能していたら、ひどく気味悪そうに見られた。
友人いわく、「誰が見ても首を絞められて苦しんで暴れてるとわかる様子なのに、何ひとつ感じないで笑ってるアンタが怖い」とのことだった。
別に首を絞めたつもりはなかったし、手触りが気持ちよくて夢中になっていただけだ。
実家に帰省したとき、親が猫を飼っていた。
可愛いなと思って近づくと逃げるので、捕まえて押さえて撫で回していたら、親に叱られた。
私は遊んでいるつもりだったが、猫は本気で苦しがっていたらしい。
ついでに言うと、私は赤ちゃんも好きだ。
でも、友人宅で抱かせてもらったら、赤ちゃんが泣き喚き、慌てて抱き取った友人は二度と触らせてくれなかった。
抱えていただけのつもりだったが、何か変な持ち方をしていたらしい。
そして今、私は妊娠中。
その話をすると、なぜか皆が奇妙な顔をする。
さすがに自分の子くらいはちゃんと育てられる……と思いたいのだが、ちょっぴり不安になる今日この頃である。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、本人にはまったく悪意がなく「かわいい」「好き」という純粋な気持ちで触れているつもりなのに、その力加減や相手の苦しみを察する感覚がずれているため、周囲からは危なっかしく、時には怖いとまで受け取られてしまうというギャップです。
自分では優しく接しているつもりなのに、動物や赤ちゃんは必死に嫌がっていて、その違いに気づけないまま笑ってしまうという無自覚さが、周囲の不安や違和感を生み、妊娠したと聞いてさらに心配されてしまう。
その“本人の感覚”と“他者の反応”の食い違いこそが、この話の核心になっています。また、そのギャップに本人自身も少しずつ気づき、不安を覚えることで、静かな怖さとユーモアが同時に漂う話になっています。

































