アメリカの田舎町で聞いた老人の話
今からもう十数年前、私が仕事でアメリカへ行った時に聞いた話をします。
具体的な内容については、個人が特定されそうなので書けませんのでご了承ください。
当時、あるアメリカの企業と日本の企業が共同で、とある実験施設を作る計画が立ち上がった。
私の会社はそこへ大きな機械をいくつも納入する事になったので、私を含めた社内の10名ほどが現地の視察や今後の打ち合わせをする為にアメリカへ向かう事になった。
場所はアメリカ中部の砂漠地帯。
かなりの田舎にある場所で、周囲には寂れた町が一つあるだけだった。
その町に到着して3日程したある日、私と上司が打ち合わせをするはずだった人がこちらに来れなくなり、上司から「先に戻っていても良い」と言われ、私は一足先に宿泊先のモーテルへ戻ることにした。
先にも述べたように、そこは辺鄙なアメリカの田舎町。
※辺鄙(へんぴ)
都会から離れていて不便なこと。
モーテルに居てもする事がない。
私は暇を持て余し、アテもなく町中をブラブラする事にした。
・・・が、やはり暇で目的も無い為、近場にあったお酒の飲めそうなレストランに入る事にした。
そこは、どうもレストランというより酒がメインだったようで、時間が早い事もあり、自分以外には東洋系の老人が一人いるだけだった。
テーブルに着き、食べ物やビールを注文していると、先客の老人が「あなたは日本人か?」と尋ねてきた。
私は「・・・そうですが」と答えると、老人は「やっぱり。もしお暇でしたら少しお話をしませんか?」と言ってきた。
私は断る理由も無く「はい」と答えた。
その時の私は、単に老人のとりとめのない世間話や昔話を聞くだけだと思っていた。
だが、実際は違った。
老人の話は非常に重く、恐ろしく、おぞましい、老人の過去にまつわる話だった。
あいつらは『悪魔』だ!
老人は1960年代後半にアメリカへ移住してきた移民一世だった。
元は中国のとある省の生まれらしい。
老人はある事件をきっかけに、なけなしの蓄えを全て賄賂(わいろ)につぎ込んで中国を脱出し、着の身着のままアメリカへと移民してきた人だった。
その事件とは、1966年から中国に吹き荒れた『文化大革命』に関係するものだった。
※文化大革命(Wikipedia)
名目上は中国で資本主義の復活を阻止する社会運動だが、実際は毛沢東が復権するための大規模な権力闘争。その結果、多数の人命が失われ、また国内の主要な文化の破壊と経済活動の長期停滞をもたらした。
文革当時、老人は結婚したばかりの奥さんと、まだ小さな子供の3人で小さな靴屋を経営していたらしい。
老人の話によると、文革が起きたと言っても、都市部で小さな靴屋を経営している老人には当初はほとんど影響が無く、町中でプロパガンダの広告や街宣車を見かけても何か遠くで起きている出来事のようにしか感じなかったとか。
※プロパガンダ
宣伝。特に、特定の主義・思想についての(政治的な)宣伝。
しかし、「反革命的」という言葉を聞くようになってから、自分の周囲の何かがおかしくなり始めたらしい。
最初は、近所にあったお寺の僧侶が“連行”されたという話だった。
その僧侶、結局は帰って来なかったという。
僧侶が連行されたのを皮切りに、近所の教師や医者や金持ち、政府に批判的な人などが次々と連行されて居なくなり始めた。
そして、ついにはそれらとは全く関係の無い一般人も次々と連行され始めた。
老人には何が起きているのか分からず、ただただ恐ろしく自分達の身にこの不幸が降りかからないよう身を潜めるしかなかったという。
そんなある日、老人は店に来た客からある噂を聞いた。
「どうも連行された人達は、子供たちに密告された結果らしい。子供たちは自分の親や学校の教師ですら、躊躇無く”密告”している」・・・と。
老人には信じられなかった。
子供たちの何人かは老人も知っていて、親と共に自分の店へ靴を買いに来たこともある。
そんな、ごく普通の子供たちが自分の親や教師を密告している。
あまりにも現実離れしていた。
しかし、老人の町にも『紅衛兵』と呼ばれる集団がやって来ると、老人もその事実を信じざるを得なくなったらしい。
※紅衛兵(Wikipedia)
紅衛兵(こうえいへい)は、中華人民共和国の文化大革命時期に台頭した全国的な青年学生運動。 学生が主体であるが、広義には工場労働者を含めた造反派と同じ意味で使われることもある。
そんなある日、老人が国を捨てる決定的な出来事が起きた。
その日、共産党からの命令で、老人はある学校に生徒用の靴を納入しに行く事になった。
老人が荷車に靴を載せて学校に着くと、学校の裏庭から“何かを調理する”良い匂いがしてきた。
匂いが気になった老人は、荷物を係りの人に渡すと、何気に裏庭に回ってみたのだという。
そして、そこで老人は信じられない光景を目にした。
そこにあったのは、堆(うずたか)く積み上げられた死体と、嬉しそうにそれらを解体し調理する子供たちの姿。
さらに、無表情で子供たちにアレコレと指示を出す地元の共産党員の姿だった。
その死体の中には老人のよく知っている医者の姿もあったらしい。
(実際にはかなり生々しく具体的に”調理の様子”が老人から語られたのですが、あまりにも酷い内容なので省略します)
老人はその場を離れると、その場では何事も無かったかのように振る舞い、そして学校から逃げ出した。
人気の無い所に行くと、胃液しか出なくなるまで吐き続けた。
老人は今でもあの光景を夢に見て、夜中に目が覚めるのだという。
その夜、家に帰ると老人はなけなしの蓄えを掻き集め、奥さんにはほとんど事情も話さず夜逃げの準備をさせ、その日の晩のうちに家族で町から逃げ出した。
その後、老人は仕事のツテや昔にアメリカへ移民した親戚などを頼り、貨物船の船長に賄賂を渡して密航し、タイ経由でアメリカに移民したのだという。
そして、その後も共産党に怯えながらアメリカの田舎でひっそりと暮らしてきたらしい。
・・・恐ろしい話だった。
文化大革命がかなり酷い事件だったとは知っていたが、ここまでとは知らなかった私は、老人の話をただただ聞くしか出来なかった。
老人は最後にこう言った。
「当時、人間を解体し食っていた子供たちは今どうなっていると思う?」と。
私は「分からないです」と答えた。
すると老人は、「その後ある程度は外国との手紙のやり取りなどが自由になり、中国に残っている知人などから聞いた話によると」・・・と前置きし、
「大半は紅衛兵となり、その後に地方へ追放されたらしいが、共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、今は共産党の幹部になっている。そして、こういう事は当時の中国全土で起きていたらしい」という。
老人は話を続けた。
「当時の子供たちは今は40代後半から50代。いずれ共産党の幹部として国を動かす立場になるだろう。人としての第一線を超えてしまったやつらが国を動かす事になるのだ」と。
老人は立ち上がると、去り際にこう言った。
「あいつらを信じてはいけない。あいつらは悪魔だ。日本人ならこの事は決して忘れてはいけない」と。
以上が当時の私が老人から聞いた話の全てです。
(終)