複合商業ビルのエレベーターでの怪奇な体験

エレベーター

 

これは、今から5年ほど前の話。

 

当時の俺は、駅前の商店街にある歯科医院に通っていた。

 

医院は6階建ての複合商業ビルの5階にあり、いつもエレベーターを使って移動していた。

 

通い始めて何度目かのこと、いつものように1階でエレベーターを待っていた。

 

そして降りてきたエレベーターの扉が開くと、中には薄い紫色の着物を着た女性が立っていた。

 

歳は30代半ばくらいだったろうか。

 

ビルの3階に着物教室が入っていたので、そこの生徒さんか先生なんだろうと思った。

 

その女性が「上に行きますか?」と聞いてきたので「はい」と答えると、「すみません。下に行くので」と言われ、「どうぞ」と返して乗ることを辞退した。

 

しかし、扉が閉まった後、ふと疑問に思った。

 

地下なんかあったか?と。

 

エレベーターの横にあるフロア案内を見ると、1階はコンビニ、2階は喫茶店、3階は着物教室、4階は美容院、5階は歯科医院、6階は会計事務所。

 

地下の表記はない。

 

エレベーターの内外にある階数表示されたディスプレイも1階から6階まで。

 

結局その時は、多分ビルのオーナーやフロアを借りている人専用の倉庫でもあるのだろう、と大して気にもしなかった。

 

それから2ヶ月ほど経ち、そんな出来事もすっかり忘れていつものようにエレベーターを待っていると、開いた扉の向こうにあの時の女性が立っていた。

 

前回と同じく、薄い紫色の着物を着ていた。

 

そしてまた同じように、「上に行きますか?」と聞かれた。

 

その時、地下に何があるのか急に好奇心が湧いた俺は、思わず「いいえ、下に」と答えてしまった。

 

医院の予約時間までは余裕もあり、暇潰しでもするか、そんな軽い気持ちだった。

 

女性がエレベーターの操作ボタン側の隅に移動したので、俺は下に行ってもいいのだと判断して、少し緊張気味でエレベーターに乗り込んだ。

 

扉が閉まると、女性が行き先ボタンの下の方を何回か押すような仕草をした。

 

ただ俺は女性の少し後ろに立っていたので、どこをどう押したのかは見えなかった。

 

地下へ行くためのボタンは見たことがないし、もちろんそんなボタンもない。

 

しかし、エレベーターは下降し始めたので、地下があるのは確かなよう。

 

「地下へのボタンはないですけど、どうやって地下に行く仕組みなのですか?」

 

気になって女性に聞いてみた。

 

だが女性は「…いえ」と言ったきり、黙ってしまった。

 

部外者へは教えられないということだろうか。

 

だとしたら、なぜ俺を乗せたのか。

 

女性もまさか俺が下へ行くとは微塵も思っておらず、うっかり乗せてしまったのか。

 

そんなことを考えているうちに、エレベーターが止まった。

 

扉が開くと、冷たい空気が流れ込んできた。

 

そこには、左側だけに赤い明かりが奥へ奥へと続いている暗い空間が広がっていた。

 

雰囲気的にはコンクリートを打ちっぱなしにした地下駐車場が近いと思うが、車らしきものどころか物体は何もない。

 

提灯のような赤い明かりは、ビルの広さから考えても有り得ないほどに奥へ続いているように見えた。

 

そして女性はすっとエレベーターから降りると、奥へ向かって歩いてゆく。

 

「すみません、ここには何があるのですか?」

 

俺は去ろうとする女性に向かって問いかけた。

 

女性は立ち止まり振り返ると、ちょっと困ったような顔をして、何かを考えるように小さく首を傾げた。

 

すると、奥の方から「はぁはぁ…」と男の荒い息づかいのようなものが響き渡り、女性が人間とは思えないような速さで突然ガクガクと小刻みに震え出した。

 

よくわからない息づかいは、だんだんとこちらへ近づいて来るように音が大きくなる。

 

その時、女性は突然パタリと倒れた。

 

次の瞬間、吐き気を催すような強烈な腐臭と生温い空気がぶわっとこちらまで流れてきて、男の息づかいはさらに大きくなって迫ってきていた。

 

とにかくよくわからないが「これはヤバイ!」と思った俺は、慌ててエレベーターの閉まるボタンと6階のボタンを押した。

 

エレベーターが上昇していくにつれ、安堵なのか、恐怖なのか、汗がだらだらと流れ出した。

 

無事に6階に到着すると、当然そのエレベーターには乗りたくなかったので、階段で医院のある5階まで下りた。

 

地下の出来事があって頭が真っ白で、その日の治療はよく覚えていない。

 

それ以降、俺は面倒だと思いつつ、医院へは階段で移動するようにした。

 

月日は過ぎ、歯の治療も終わり、俺はそのビルへ近づくことはなくなった。

 

あのビルに何か曰くがあるのかネット等で調べたものの、特にそれらしき情報は見つけることはできなかった。

 

一体あれは何だったのか、未だにわからないままになっている。

 

(終)

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