消えた同僚の怨念はオフィスに棲む

あれは、3年ほど前のことです。
僕はある会社に営業として勤めていました。
そして毎日が残業の連続。
それでも超過勤務手当はつかない、いわゆる零細企業でした。
同期には、守岡くん(仮名)という人がいました。
僕より年上でしたが、仕事は遅くて営業のセンスもなく、朝のミーティングでは毎回、部長に吊し上げを食らっていました。
根が真面目な人間だけに、相当参っているようでした。
守岡くんには、興奮すると「スン、スン」と鼻を鳴らす癖があり、それもまた上司に疎まれる理由の1つでした。
僕はといえば、そこそこ口も立ち、それなりに世渡り上手だったので、守岡くんのようにいじめられることもなく、なんとかやっていました。
しばらくして、守岡くんが会社からいなくなりました。
辞めたのではなく、失踪したとのことでした。
前日に最後まで残業していたのを見た人はいましたが、その日、彼は家に帰らず、そのまま行方不明になってしまったのです。
初めのうちは少し騒ぎになりましたが、1か月も経つと忙しさもあって、みんなが守岡くんのことなど忘れてしまいました。
そんなある日のこと、僕は1人で残業していました。
翌日のクライアントとの打ち合わせにどうしても足りない書類ができてしまい、徹夜覚悟でパソコンとにらめっこしていたのです。
トゥルルルルル。
時計の針が夜中の3時を過ぎた頃でしょうか。
机の上の電話機が鳴りました。
「はい?」
寝ぼけ眼で受話器を取ると、「……」。
何も聞こえません。
「もしもし?」
呼びかけて、僕はハッとしました。
会社の電話はビジネスホンで、外線と内線が使えます。
そして、いま鳴ったのは内線の音だったのです。
慌てて立ち上がり、室内を見渡しました。
広いフロアで、電気の明かりは僕の周囲しかついておらず、人の気配もありません。
気味が悪くなり、受話器をそっと戻しました。
トゥルルルルル。
また呼び出し音が鳴りました。
ビクビクしながら電話機のディスプレイを覗くと、そこには番号が表示されていました。
『302』
それは、守岡くんのデスク番号でした。
僕は怖くなり、思わず立ち上がりました。
その時です。
「スン、スン……」
耳元で、聞き覚えのある音がしました。
守岡くんの、鼻を鳴らす音です。
振り向きましたが、誰もいません。
「疲れているんだ……」
そう自分に言い聞かせ、再び机に向かおうとした、その時。
そこには守岡くんがいました。
パソコンのモニター画面いっぱいに、守岡くんの顔が。
無表情のまま、じっとこちらを見ています。
そして、一言。
「来いよ」
僕は悲鳴を上げ、会社から逃げ出しました。
結局、そのまま会社も辞めてしまいました。
その後のことは、風の噂で聞きました。
従業員が次々と辞め、会社は倒産したそうです。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、過酷な労働環境や人間関係の中で、無力感や孤独感に押し潰された人間の存在が、ただ「いなくなった」という事実で片づけられてしまう怖さだと思います。
守岡くんは真面目で不器用なだけだったのに、上司から理不尽に叱責され、同僚からも疎まれ、やがて失踪しました。しかし、その後も会社は忙しさを理由にすぐ彼の存在を忘れてしまいます。その「忘れられた人間の思念」が、残業に追われて同じように疲弊した語り手の前に現れたのです。
電話や鼻を鳴らす音、画面いっぱいに映る顔といった怪異は、守岡くんの未練や怨念の表れであると同時に、会社そのものが抱えていた歪みを象徴しているようにも感じられます。
結末で会社が倒産するのは、そうした人を人とも思わない環境がいずれ自滅することの暗示でもあり、読み手には「忘れ去られた者の声は決して消えない」という不気味な余韻を残します。

































