水面に映る満月に誘われて

満月

 

これは、知り合いの話。

 

山奥の集落に停泊していたある夜のこと。

 

尿意で目が覚めた彼は、屋外の厠に行って用を済ませた。※厠(かわや)=便所

 

庭に置いてある手水鉢で手を洗おうと、中を覗き込んだ時だった。

 

水面に白い大きな円盤が映っていた。

 

満月だ。

 

あまりの美しさに、思わず手を伸ばしたという。

 

次の瞬間、水の中から細い物が二本伸び出してきて、彼の腕を掴んだ。

 

“幼子の細腕”、そう見えたと彼は言う。

 

慌てて振り払うと、腕はすぐさま鉢へ戻って消えた。

 

水面の月も乱れて消えた。

 

天を仰ぐと一面の星空、月など何処にもない。

 

あぁ、そう言えば今日は新月だったな。

 

ようやっとそのことを思い出し、手水鉢を無視して母屋まで戻ることにした。

 

集落に滞在中、腕に掴まれたのはその一回きりだったそうだ。

 

「月で人を釣ろうとするなんて、風流な物の怪もあったものだ」

 

そう彼は笑って言った。

 

(終)

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