人形 4/5

人形

 

やがて静まり返っていた家の中に、

女性の悲鳴が響き渡った。

 

全員腰を上げ、

客間を出る。

 

スリッパの音がバラバラと床を叩いた。

 

みかっちさんが先導して、

1階の奥の部屋へ足を踏み入れると、

 

広々とした和室に、

礼子さんの後ろ姿が見えた。

 

「いないのよ。あの子が」

 

屈み込み、

取り乱した声で畳を爪で引っ掻いている。

 

和箪笥など古い調度品が並ぶ中、

奥に床脇棚があり、

 

その上に、

空のガラスケースが置かれていた。

 

ガラスケースの中には、

 

薄紫色の座布団のような台座だけが

ぽつんと残されていて、

 

丁度あの人形が納まる

大きさのように思えた。

 

「誰なの。どこへやったの」

 

と呻く様に繰り返している礼子さんに、

みかっちさんが駆け寄り、

 

「落ち着いて」

 

と背中をさする。

 

次の瞬間、

 

バン、という大きな音がして

横を見ると、

 

師匠が後ろ手で壁を叩いた格好のまま、

険しい顔つきで女性二人を睨んでいる。

 

「落ち着くのは、キミもだ」

 

そう言いながら床脇棚に近づき、

ガラスケースを持ち上げる。

 

台座を触り、

その指を二人に見せつけた。

 

「この埃は、少なくとも何年か、

 

ここに人形なんか置かれて

いなかったことの証だ。

 

あの絵を見た時から

おかしいと思っていたが、

 

写真を見て確信した。

 

人形なんか、

この家にはないじゃないかと」

 

礼子さんが怯えたような顔で、

頭を抱える。

 

みかっちさんも、

目の焦点が合っていない。

 

「先日の温泉旅行。

 

その人形がバッグから

出てくるところを見たのは、

 

彼女の他にキミだけだ。

 

それは本当に、

あの人形だったのか?」

 

師匠の詰問に、

みかっちさんはうろたえて、

 

「え、だって」

 

と口ごもった。

 

そして「あれ?あれ?」と、

両手で自分の頭を挟むように繰り返す。

 

「人形を絵に描いたと言ったが、

 

具体的にどこでどうやって描いたか、

今説明できるか」

 

「え?うそ?あれ?」

 

みかっちさんは今にも崩れ落ちそうに

小刻みに震えながら、

 

なにも答えられなかった。

 

「あの写真持ってきて」

 

との師匠の耳打ちにすかさず従い、

ほどなく俺は3人の前に写真を掲げた。

 

「僕はその人形を描いたという絵の、

着物の襟元を見ておかしいと思った。

 

それは、合せ方が通常と逆の

左前になっていたからだ」

 

師匠は、

 

「洋服とは違い、

 

和服は男女ともに

右前で合せるのが伝統だ」

 

と語った。

 

「これに対し、

 

死んだ者の死装束は、

左前で整えられえる。

 

北枕などと同じく、

 

葬儀の際の振る舞いを

『ハレ』と逆にすることで、

 

死の忌みを日常から遠ざけていたんだ。

 

だから子どもの遊び道具であり、

裁縫の練習台であった、

 

いわば日常に属する市松人形が

左前であってはおかしい」

 

こんなことは説明するまでもなかったか、

と呟いてから師匠は、

 

みかっちさんの方を向いた。

 

「モデルを見て描いたのであれば、

こんな間違いは犯さないはずだ。

 

絵の技法上の意図的なものでない限り、

 

彼女はその人形を

見ていないんじゃないかと、

 

その時少し不審に思った」

 

そして、写真を指差す。

 

「そこで出てきたのが、

この銀板写真だ。

 

銀板写真は、

 

明治の志士の写真などで知られる

湿板写真や、その後の乾板写真と、

 

大きく異なる性質を持っている。

 

それは、

 

被写体を左右逆に写し込むという、

技術的性質だ」

 

え?と俺は驚いて写真を見た。

 

文字の類は写真に写っていないので、

 

左右が逆であるかどうかは

咄嗟に判断がつかない。

 

そうだ。

 

着物の襟だ。

 

と気づいてから、

もう一度3人の女性の襟元をよく見た。

 

本人から見て、

左側の襟が上になっている。

 

「ホントだ。

左前になってます」

 

と言うと、

 

師匠に話の腰を折るなと

言わんばかりに、

 

「バカ、左前ってのは、

本人から見て右側の襟が上に来ることだ」

 

と溜め息をつかれた。

 

あれ?じゃあ、

 

写真の女性は右前なわけで、

正しい着方をしていることになる。

 

左右逆に写っていないじゃないか。

 

師匠は人差し指を

左右に振ってから続けた。

 

「これが日本人の迷信深いところだ。

 

銀板写真が撮られた当時、

 

被写体は武家や公家などの、

支配階級の子弟たちだったわけだが、

 

出来上がった己の写真が、

 

死装束である左前となっていては

縁起が悪いために、

 

わざわざ衣服を逆に着て

撮影していたんだ。

 

もっとも、

単に見栄えの問題もあったのだろう。

 

武士などは刀まで、

右の腰に挿し直して撮っている。

 

当時の銀板写真をよく見ると、

 

襟元や腰の大小が

変に納まり悪く写っているから、

 

彼らの微笑ましい努力の跡が

垣間見えるってものだ」

 

ということは、

つまりこの着物姿の3人の女性も、

 

撮影時にわざわざ左前にして

カメラの前に座ったのか。

 

俺は感心し、

 

言われなかったら気づかなかったであろう、

100年の秘密に触れたことに、

 

ある種の快感を覚えた。

 

「そこでもう一度、

 

この真ん中の女性が抱える

人形を見て欲しい」

 

師匠の言葉に、

視線をそこに集中させる。

 

人形の襟元が他の女性たちと

逆に合せられている。

 

左前だ。

 

銀板写真は左右を逆に写すので、

つまり撮影時には右前だったことになる。

 

「市松人形としてはこれで正しい。

 

ただ、撮り終わったあとの写真が

間違っていただけだ。

 

だから・・・」

 

と言って、

 

師匠はみかっちさんに視線を向け、

笑い掛けた。

 

「キミのあの絵は、

 

この写真の一見左前に見える

人形を描いたものなんだ。

 

キミは人形を絵に描いたと言いながら、

人形を見ていない。

 

奇妙な記憶の混濁があるようだ。

 

なぜなら、そんな人形はもう

存在していないんだから」

 

キャアァー!!

 

という甲高い金属的な悲鳴が、

家中に響き渡った。

 

俺は背筋を凍らせるような衝撃に、

体を硬直させる。

 

頭を抱えて俯いている礼子さんの、

口から出たものにしてはおかしい。

 

まるで、家中の壁から

反響してきたような声だった。

 

「その人形が、

どうしてなくなったのかは知らない。

 

あなたの口から、

それが聞けるとも思わないけど。

 

戦争で焼けたのか。

処分されたのか・・・

 

ただ、

あなたの中に棲みついて、

 

そこにいる友だちの中にも

感染するように侵入したそれは、

 

この世に異様な執着を持っているみたいだ。

 

自分の存在を再び世界と

交わらせようとする、

 

意思のようなものを感じる。

 

実際に絵という形で、

 

一度滅びたものが

現実に現れたんだから」

 

ミシミシという嫌な圧迫感が、

体に迫ってくるようだ。

 

これは、

 

髪が伸びるだとか

涙を流すだとかいう、

 

人形にまつわる怪談と同質のものなのか?

 

いや、絶対に違う。

 

俺は底知れない嫌悪感に、

体の震えを止めることが出来なかった。

 

(続く)人形 5/5

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